人間のクズ!

敵は自分の中にいる。ちょっとだけ抗ってみたくなった、ぽ子56歳。

3つの良かったこと。

「はぁぁぁぁ~~~~~~~~~っっ。」

もう日はとっぷりと暮れて、「夜」という時間帯に入っている。

私はミツコのリードを持ち、グイグイ引っ張られながらトボトボ歩いていた。

できるだけ前向きに生きていこうと思ってはいるが、このところ忙しい日が続き、気持ちの余裕がなくなっていたのだ。

何が起こった、というよりも、「時間がない」という事の方が、私には堪える。できたことよりも、できなかったことの方を数えてしまう。あぁ今日も、何もできなかった。なけなしのできたことすら、四捨五入でゼロという気分だ。

ニヘラ~、とミツコは舌を出してこちらを振り向く。ご褒美が欲しい時の顔だ。

これだけグイグイ引っ張っておいて、何がご褒美だよアホンダラ。

ミツコのニヘラ~という間抜け面とアホンダラという言葉のマッチングに、思わず笑いがこみ上げる。

君に罪はないよ、ごめんね。何をしたわけでもないミツコにご褒美のオヤツ。いつもなら、こんなことはしない。しつけはしつけだ。ご褒美には意味があることを覚えて欲しい。

ミツコは喜んでその小さなオヤツを食べ、誇らしげにまた前をグングン歩いていく。

はぁぁぁぁ~~~~~~~~~。

そして引っ張られていく私。

疲れた。

頑張っても頑張っても流れていく時間。何もできないで終わろうとしている一日。

こんな日でも、いいことはあったはずだ。というか、どんなことでも拾い上げて「いいこと」と思うことはできるはずである。いいことがなかったのではない。「いいこと」と感知することができなくなっているだけなのだ。

思い返せ、いいこと、あっただろう?

良く「今日一日の中で、良かったことを3つ思い出してみるといい」などという。「いいことセンサー」の感度を上げていくのだ。必ず救いはある。

私は一日を思い返す。

父を病院へ連れて行った。大変だった。心配だ。

でも「無事に入院した」という言い方もできる。

父の無事に感謝。

・・・・・・・・・・・。

これはちょっと違う気がする。確かにそうだが、「いいこと」と言う風に嬉しい気持ちにならないのだ。ああ言えばこう、の屁理屈みたいである。強引なハピネス。

エルの尻も順調に回復している。

これも同じだ。

有難いことには違いないが、「だから感謝しなくては」という義務感が生まれてしまうのだ。こういうことに、義務感を伴いたくはない。

もっとこう、自然に嬉しくなるような事柄はないか。

なかなか思いつかなかった。

実はこの「いいこと3つ」は、このように気分が落ちている時に時々考えるようにしているのだが、この日はなかなか浮かんでこなかった。こんな日もあるのか。

ミツコはグイグイと私を引っ張っていく。あぁ君はいつになったら歩調を合わせてくれるのか。

私は記憶を午前中まで戻していった。

庭に出た。花に水をやった。父から預かっているのである。枯らせる訳にはいかない。

そのプレッシャーが思い出され、また気持ちは落ちていこうとしたが、あ。

父から預かったのは、派手な花の寄せ植え、そして娘ぶー子にあげて欲しいとガーベラも預かっていた。

微妙に色の違う、3輪のガーベラ。私が買うような安い貧弱なものと違い、元気で、綺麗なもの。残念ながらぶー子がきちんとこれを育てるとは思えず、私のところに置いてあるのだ。

「綺麗だった。」

これは私の心を動かした。

いいことなんて、こんなものなのかもしれない。それとも花の力か。ふっと気持ちがネガからポジに切り替わった感じがした。

ミツコがまたこちらを振り向く。

悪くない。

オヤツをあげると、グインとつんのめって歩き出す。

引っ張られながら、歩いていく。

一日が終わる。

そんなに悪い日じゃなかったかもしれない。