人間のクズ!

敵は自分の中にいる。ちょっとだけ抗ってみたくなった、ぽ子55歳。

猫とスープ

まだ機種変してから一年経っていないのか。もうずいぶん経った気がしていた。

仕様が変わって戸惑っていた時期もあったはずだが、すっかりもう慣れた。やれることなど限られているのだ。スマホが進化したとしても、それを生かす機会はなさそうである。

 

しかし下手に慣れてしまったがめに、中途半端なままになっていたことがあった。トップページだ。

大量にあるアプリのうち良く使うものだけを上げてあったが、整理するのが面倒で、最低限のものだけを表示していたのだった。

まぁ現状で困っていないならこれでもいいのだが、現状で困っていないということは、アンインストールしていいアプリが下にたくさん眠っているんじゃないか?

ふとそんな気になって、一度アプリを全部見直すことにしたのだ。

 

アンインストールどころではない。以前やっていたゲームがたくさん埋もれていた(笑)

もうやらないならいっそ捨てた方がいいのだろうが、つい「最終確認」としてプレイしてしまう。

そこで救い出されたのが、「猫とスープ」だったのだ。

    

 

いわゆる放置ゲーだ。何かを競う訳でもなくだれかと戦う訳でもなく、ただただアイテムを集めて施設を拡張していくだけ。アイテム集めも任意だ。欲しければタップすればいい。

しかしこのアイテムがじゃんじゃんじゃんじゃん出て来るので、やめ時がない。アイテムがじゃんじゃん出るので、施設のレベルアップもべらぼうに早い。そして新しい施設ができれば、新しい猫がやって来る。猫いっぱい。猫天国。

ただただタップするだけの放置ゲーなのに、やめられん。とにかく猫がどれも可愛いのである。

どの猫にも名前を付けることになるのだが、あまりに増えてきてもう名前がない。

うちの猫の名前、死んじゃった子。やはり関わりのある名前の方が、いいのである。実家で飼っていた子。娘の飼っている子。施設は増える。猫も増える。

以下、苦し紛れの名付け。

 

えう→今一緒に暮らしている猫。

だいご→今一緒に暮らしている猫。

みっつ→今一緒に暮らしている犬。

らっちゃん→5年前に死んでしまった猫。

ミュウミュウ→3年前に死んでしまった猫。

勇気→死んでしまったエルの兄弟。

元気→死んでしまったエルの兄弟。

クラウザーさん→2011年に寝室にいた蜘蛛。

つむちゃん→昔飼っていたカタツムリ。

ぴーちゃん→昔保護したヒヨドリ。

ビビ太→娘のところで飼っている猫。

クー太→娘のところで飼っている猫。

ガッちゃん→娘のところで飼っている猫。

はむりん→昔飼っていたハムスター。

びば→昔居候した家にいた猫。

みーこ→昔実家で飼っていた猫。

ちーこ→昔実家で飼っていた猫。

ゆりお→昔実家で飼っていたインコ。

ジョン→昔友人が飼っていた犬。

チャッピー→昔ダンナが実家で飼っていた犬。

太郎→昔実家の向かいで飼っていた犬。

エジン→昔実家の隣で飼っていた犬。

ミークⅡ→子供の頃、拾った猫。

 

ここに、人間の家族が3人。もうそろそろ限界じゃ。

しかし、懐かしい子がたくさん出てきて、不思議な気持ちになる。

太郎はボロッボロに年老いた犬で(若い頃もあったのだろうが)、良くクーンクーンと悲し気に鳴いていた。散歩に連れて行っているような感じもなく、あの声が聞こえるとたまらなくなり、可哀相だ可哀相だと言ったものだ。

ある日、箱が置いてあったか花が置いてあったか急にいなくなったかでその死を知ったが、私はそのことをなぜか卒業文集に書いた(笑)「なぜこの話?小説か?」というようなことを先生に言われたような覚えもあるが、本当に、なぜこの話?

昔から時々、こういうことがあった。思いついたら選択肢はそれしかないのである。

文集を見ればもっと詳しく太郎のことは分かるだろうが、卒アルの類は全部捨ててしまったのだ。太郎のことは、記憶に残ることのみで、それはあのクーンクーンという悲し気な鳴き声である。

だから私はつい、このゲームの太郎にご飯をいっぱいあげてしまう。結構本気で悲しい。太郎、ご飯だよ、食べてね。

元気、勇気も然りだ。

エルと一緒に生まれたばかりのところを保護したが、この2匹はすぐに死んでしまった。片手にスッポリ入ってしまう、ハムスターほどの子猫。

目も開いておらず、何も見ることなく呆気なくこの世を去った。ご飯だよ、食べてね(泣)

こんなんで、ご飯をあげた量に比例する親密度には、大きなばらつきがある。悪いがダンナや娘は一番後回しだ(笑)

 

最終確認などしなかったらアンインストールするところだったが、結局また始まってしまったのだ。

ほんとにこんなゲームのどこが面白いんだろう、と思いながらも、ひょっこり昔飼っていたみーこがプレゼントを持ってきてくれたりすると、まだ繋がっているようで嬉しくなる。

だから私はまたせっせと魚を釣って、食べさせるのだ。

 

ご飯だよ、食べてね。