心配性で、マイナス思考。
起こる前から悪い想像をし、不安に駆られる。
過去は過去で失敗に悔い、恥入り、一体楽しく生きる術はあるのかと苦悩した若かりし頃。
まぁそうそう性分は変われるものではない、今でもそんなようなところはある。それでもずいぶん楽になったなと思えるようになった。
新聞の人生相談にあった、「過去悔い、未来を心配の15歳」を読んで、同情すると同時に「大丈夫だよ」とエールを送りたくなった朝である。
回答者の答えがまた逸品で、私への回答にもなっていた。「未来の心配や過去を悔いることはいつでもできますが、今現在という瞬間を楽しむのは、今しかできません。」
哲学者ピエール・アド曰く、「世界を初めて見るかのような、そして最後に見るかのような気持ちで生きること」。
私はいかに今まで「過去」「未来」に現在を奪われていたことか。
結局過去は変えられないし、未来はなるようにしかならない。
もちろん過去を肥やしにすることも、未来のために備えることも大切だ。
しかしそれを「現在軸」にしないと、過去や未来に現在を食いつぶされているだけになってしまう。
ただ漠然と感情に流されず、すべきことを明確にする。ザッツオールで前を向く。
失敗や悔いあるから、未来に生かすことができるのである。それは、ポジティブな未来だ。
私は未だに、やらかしている。結構重症だ。卑怯かもしれないが、それでも私は「今」を生きる。そうしないと、辛すぎるのである。
やっちまったもんはしょうがない。代償として、私は幾ばくかの大切なものを持って行かれるだろう。それを守ろうとすると、前を向くことができない。「今」を生きることができないのだ。
なるようにしかならない。笑ってくれ。嫌ってくれ。失われた信頼を取り返そうなんて思わない。今を誠実に生きるうちに、戻ってくるときは戻ってくるだろう。
こう思えるまでには、本当に長い時間がかかった。
15歳には、まだまだ長い道のりだろう。私は15歳になど戻りたくない。この子が気の毒で仕方がない。
どうかこの新聞の回答に、少しでも救われてくれればと思う。
それにしても、つくづく「今現在という瞬間を楽しむ」のは簡単なことではない。
だからつい、飲んでしまうのである(笑)