ネガティブは、伝染する。
父のところへ行ってきたのだ。
「お前は鶏のなんだその手羽先の中にミンチの入ってるやつを食べたことがあるか?」と言って買って来た手羽先餃子を貰いに行ったのである。
「一時間ほど」と言って家にあがったが、まぁ良く喋る。本当に良く喋る。一方的だ。一方通行。喋れればいい、といった感じ。
思えば母もそうであった。人は歳を取るとこうなるのか、二人とも揃ってそういう人だったのか、身内の気安さからか。
良く食べている酢タマネギの話をすれば、以前行ったインド旅行にまで話が遡る。途中脱線し、また戻っては脱線する。
そしてヒンズー教やら仏教やらに飛び火し、本の話になる。
読まんと言っているのに「これどうだ?」、断るのにもストレスがかかるのだ。本もDVDも、言われるがまま借りていては自分の本命が進まないのである。一貫して受け取らないことに決めたのだが、毎度これである。1冊借りてしまった。
しかし、ただ長いだけならまだいい。
身内の話になると、たいがいネガティブなのである。
自分はこんな目に合った。
お前はこんなんだった。
あいつはどうだ。
過去にとどまらず、それは現在へと続くのである。「だから本当はこうなんじゃないか?」という勘ぐり。
良く言えば、心配性というのか。悪く言えば下世話である。辛抱したが、ウンザリだ。
まぁ私も大概な人間であったから仕方ない部分もある。
しかしじゃあどうしろと?
過去は変えられない。
現在にしても、あなたの及ぶところでないのである。
そんな話をしたところで、何も変わらない。
これをできるだけ柔らかく伝えようとするのだが、だんだん私も我慢できなくなってくる。
ついきつい言い方になってしまう事への自己嫌悪。
最悪だ。だからネガティブは嫌なんだ。
満身創痍で家に帰ってきた。
ラスボス戦で勝てずに一度戻ってきた感じである。HPもMPもギリギリ、ステータス異常てんこ盛り。
ネガティブは、伝染する。どうして私はこんな人間なんだ。
どうして父はあんな人間なんだ。
そんな父に、実は私は良く似ていることに、心底ゲンナリした。
できるだけハッピーに、心穏やかに生きるよう、心掛けて来た。
ネコちゃん可愛い。部屋がきれいになった。魚が美味しい。入浴剤の香り。
いいことばかりじゃないけど、大丈夫、乗り越えられると信じてみる。
そうやって明かりを灯してきた毎日。小さな明かりをひとつひとつ、消えないように灯すのだ。それに手をかざして幸せを感じる。こうして自分なりに作り上げて来た日常を、このネガティブパワーはメチャクチャに踏みにじったのである。
私は本当に参ってしまった。
だから、火曜日だというのに飲んでしまったのだ。
愚痴を垂れて、結局父と同じである。それでまた、気が滅入る。
水曜日も飲んだ。
木曜日も引きずって、金曜日。やっと薄れて来たところである。
強烈なネガティブに当てられて、酷い一週間であった。
週末に思いを馳せる。
リセットするぞ。←気合い