人間のクズ!

敵は自分の中にいる。ちょっとだけ抗ってみたくなった、ぽ子55歳。

起きてみた。

なかなか現実を受け入れるのは難しいもので・・・。

約20年間、当たり前のように一緒に暮らしてきたのだ。最後の1ヶ月はベッタリ介護である。

それが、

になっているなんて、到底受け入れられるものではない。

心配してくれている方々には申し訳ないのだが、いつまでもそばにいるよ、とか、ラッキーが見てくれてるから、とか、だから心配かけちゃダメだ、とか、そういう風に考えることも全くできず。

なぜなら、どこにもいないではないか。

何も、感じないから。

胸の中に思い出として、というぐらいなら理解できるが、思い出は思い出だ。過ぎ去ったもので、それは「現在」に対して干渉することはできないのである。

終わってしまったのだ。

そして、消えてしまった。

そのくせ、他の子を可愛がることには抵抗がある。

楽しむことも、美味しいものを食べることにも、罪悪感が出てきてしまう。

死んでしまったラッキーが、気の毒で仕方がない。

可愛がってあげられないラッキーが、美味しいものを食べられなくなってしまったラッキーが、可哀想で可哀想で、仕方がない。

私がこんなんでは成仏できないなどと言うが、その前に成仏できない証拠を見せてくれ。

そんなもの、残されたものが生きるための説教でしかない。

ありがたいことに、悔いはあまりない。

精一杯やれることをやったつもりだし、果たして理解を示してくれていたのかは謎だが、ダンナもバカバカしいものにお金を出してくれたし協力もしてくれた。

何よりも、静かな最期をダンナとふたりで看取ることができたのだ。

それでもこの喪失感だけは、どうしようもない。

リビングにラッキーがいない人生が始まったことは、受け入れがたいことである。

甘えているのは、重々承知だ。

いま私は苦しい。本当に、苦しい。

でも、そう遠くない日に、立ち直っているだろう。

準備はできている。

ただそれは、まだ今ではない。

それが起動するには、まだ涙の規定量を満たしていないのだ。

やがて、執着の限界が来る。

ラッキー、その時は許して欲しい。あなたを「思い出」という形に変えてしまう事を。