人間のクズ!

敵は自分の中にいる。ちょっとだけ抗ってみたくなった、ぽ子55歳。

ミュウ。

ミュウは21歳、と書いてきたが、一年間違えていたことが分かったのだ。正確には20歳と9ヶ月であった。

ミュウは20年前、姉妹猫のラッキーと一緒に保護団体のから譲り受けた。

生後数ヶ月の子猫で、コロコロと転がるように飛び回り、弾けるように輝いていた。

それも最後はヨタヨタの骨と皮である。

これが、老いだ。

切ないの一言に尽きるが、私はそんな最後まで一緒に居られたことに心から感謝している。

気位の高い、お嬢様猫であった。

構われるのは嫌いだが、自分が構って欲しい方法で構って欲しい時に構って欲しがるツンデレ。

猫は死が近くなると甘えん坊になるという話があるが、ラッキーがいなくなってからの2年間の間に、こんなミュウもとても甘えん坊になった。

今思うと、最後の時をミュウなりに過ごそうとしたのかもしれない。

常に隣に座り、撫でてくれと鳴き、頭をこすりつけてきた。

そして、よく鳴いた。本当に、よく鳴いた。

歳をとると良くあることのようだが、ボケてなのか何か要求があるのか、吠えるような声でよく鳴いていた。

特に食事の催促は凄まじく、まぁこれだけ元気ならと私も安心していたのだが。

ミュウが最後に食べたのは、いなばの真空パックの「焼かつお」だ。匂いの強いものを、比較的食べてくれた。

あれこれ買ったレトルトパウチの小袋は、結局たくさん残ってしまった。

ラッキーは異変があってから数ヶ月の時間があったが、それは繰り返しの検査や治療によっての延命である。

今回はもう静かに見送りたかったので、一切の延命をしなかった。その余命はたったの6日である。

それでも後悔はないと言いたいところなのだが、本人の苦痛はいかほどだったのか知りようがないのである。

悩んだのは、皮下点滴だけでもするかどうか。脱水は明らかで、最後まで水を飲みたがっていた。

それは皮下点滴をしたラッキーも同じだったが、点滴直後しばらくはその効果で楽そうにしていたのだ。

ただ点滴もやがて効かなくなり、最終的にはやはり脱水となる。単なる時間稼ぎだ。

これを「苦痛の延長」とみるか「穏やかな延命」とみるかは難しいところである。未だに答えは出ない。

いずれにしろ、猫のストレスを最小限にするには通院のないことが大前提だ。自宅でできなくてはならない。

レクチャーや準備などを考えて、やるならサッサと決断しなくてはならない。

ごく最後の数日は、ほとんど朦朧としているように見えた。ラッキーと違い、いつから意識がなかったのか分からなかった。

これが皮下点滴の有無から来る違いなのかは分からない。

どちらが良かったのかも分からない。

また次も、悩むことになるだろう。

ミュウの亡骸の、目を閉じてやることができなかった。

「安らか」とは程遠いそれを見ると悲しくて悔しくて、そんな姿がピンクの花束に埋もれていくのもどうにも辛かった。

しかしすっかり骨になってしまうと、自分でも驚くほどキッパリと、諦めがついてしまったのだ。まるでミュウの体が負の悲しみを持って行ってしまったように。

こうして何とか、前を向くことができたのである。

ラッキーもミュウも、保護団体の方がきちんとしつけてくれたようで、困らせることのないとてもいい子であった。

それに比べると私達が育てたエルとダイなど、まるで野生児である。せめて爪切りぐらいできるようにするべきであった。

トゥルニャン、と鳴くミュウ。

ほんの数週間前まで、ネズミのおもちゃに果敢に突進していた。そんなミュウを「スーパーおばあちゃん」などと呼んだものである。

最後に、不思議なことがあった。

荼毘に付した日、ダンナが席を外して私がひとりになった時のことである。

コツコツと、小さな小さなノックが聞こえたのだ。

「コッ」「ツン」という異なる二つの音ではなく、全く同じ音の連続で、私以外誰もいないその部屋に音源が見当たらなかった。

母の新盆にもノック音を聞いたことがあるが、耳をすませば魂の発する音を聞くことができるのかもしれない。

ミュウはいま心の中に、新しい居場所を作り始めている。

2018/8/16