こちらのカテゴリーには情報として役立てられるよう「状態」を、心情など個人的な思いは日記に書くようにしている。
今回私自身、本当にありとあらゆると言っていいほどのサイトを、漁るように読んだのだ。最後にラッキーの事をまとめるが、誰かの助けにでもなってくれればいいと思う。
しかし結果的に、どれも決定的な助けにはならなかったし、私の話も一例にしかなれないと思う。
腎不全の経過も最期も、全くもって個体差があり予想がつかないからだ。
私が知りたかったことはまさにこの経過と最期であり、そのどちらも少しでも楽にしたいという思いから情報を集めていたのだ。
無駄でもなかったが、結局ギャンブルには違いなかった。
誰もがそうならざるを得ない。
一つだけ言えるとしたら、「自分が」悔いのないように。
「猫が」じゃないんかいEE:AE482となるが、そこはアナタ、みんなその子を愛しているのだ。その子のための最善を願っての選択であれば、間違いなどと誰に言えるのか。
身を切るような選択なのである。間違いなんかない。陰口なんざ、言わせておけ。
まず私が一番悩んだことは、「どこまで世話をするか」であった。
具体的には強制給餌、強制給水、皮下点滴、この三つ。
最優先は、「苦痛の緩和」だ。延命ではない。
となると、強制給餌がまず先に振り落とされる。
シリンジで少しずつとは言え、死に瀕した猫には苦痛でしかない。
分かっていても、そう簡単には割り切れないものだ。私は何度かやってしまった。
そんな私でもさすがに「もうやめよう」と思わざるを得ない状態になったので、これはある意味、自然にやらなくなった。
回復の希望がある子には、難しい選択になると思う。
言い代えれば、給餌を止めるという事は、回復を諦めると言うことにもなる。
そこが、私達を迷わせるところなのである。
うちの場合は、シリンジでは嫌々飲み込んでいた状態であった。嫌々でも飲み込んでいるだけ希望を持ってしまった。
今思えば、口から自主的に食べなくなったところでやめるべきだった。
温めたり、普段食べないようなものをあげてみたり、色々試してみた。
急にではなく、徐々に食べなくなったことを考えると、あれがラッキーの限界だったのだろう。
水に関しては、もっと死に直結するのでシビアだ。
動けるうちは這ってでも水飲み場まで行っていたのだ、飲みたい気持ちは強くあったはずである。
しかし何が原因か分からないが、「飲めない」、そんな感じであった。だからシリンジでの給水は結構長い間やっていた。
嫌がってはいなかったが、単にその気力がなかっただけだと思う。
最後の診察の時に皮下輸液の方法を聞いてから、もうシリンジでの給水はやめることにしたのだ。
看取りの覚悟を決めたのだ。もう嫌がることはやめようと。
しかしここで問題が出て来た。
嫌がることはやめる。=シリンジでの無理な給水はやめる。
苦痛は最小限にしたい。=給水しないと脱水の苦痛が増すのではないか。
とにかく腎不全の苦痛は、脱水から来るものだという。だからギリギリまで皮下輸液をすることにしたのだが(賛否両論である)、口の中が唾液でネバネバしてるのを見ると辛そうで、2回、少量の水を飲ませたことがある。
結果的に2回とも、時間を開けて吐いた。
ラッキーはとにかく「吐く」ということがなかったが、合計3回、こういった無茶飲ませのあとにだけ吐いたのだ。
1回目は気が急いて量を多く飲ませてしまった、この2、3回目は必要ない水分だったのだろう。
個人的な結論は、看取りに入ったらもう、水もご飯もナシだ。ただし本人が自主的に欲したら別だが。
まぁそんな元気があるなら、看取ろうなどという段階にはならないだろう。
輸液は、前日の夜が最後だった。
その後は呼吸も荒く、もう何をやっても無駄なのは見て取れたので、ただ側にいただけである。
輸液をすると意識がしっかりしてしまうので、いつまでも苦痛を味わうことになるという説があった。
いっそ脱水して尿毒症末期になっても、意識がなければ苦痛はないというのである。だから輸液なんかしないで自然に任せた方がいいというのだが、これは確かにそうかもしれない。
輸液が効いてくるまで、ラッキーはボーッとして半覚醒状態であった。最後の意識がない時との表情とはまた違い、朦朧としている感じだ。
この方が楽なのかもしれないね、と話したのを覚えている。
ところが輸液をして翌日になると、意識がしっかりしているのが分かった。
もう動けなくなっていたが、前を通るたびに顔が動き、呼べば目が反応した。リアクションが小さいだけで、反応としてはしっかりしていたのである。
それだけに、苦痛をそのまま感知しているのだろうかと心配になったものだ。これまでになく呼吸が早く、恐らく一番しんどかったのはこの頃じゃなかったかと思っている。
完全に意識がなくなってからは、30分ぐらい。顔で分かった。
あまりスピリチュアルな話は信じない方だが、もうずっと同じポーズで一日動かなかったラッキーに、じゃあおやすみ、と声を掛け、向かい合い横になって私は目を閉じたのだ。
次に見た時には(その間、ほんの2、3分である)顔を背けて意識がなくなっていたのである。
まるで私が眠るのを見届けようとしたみたいで、驚いた。
ここからはもう意識はなかっただろうから、苦痛もなかったと思う。
大きな痙攣は2日前に一度だけ起こしていたが、この時は小さく伸びのような動きを2、3回しただけで、本当に静かに静かに息を引き取った。
こんな感じで、参考にはならないが一例として、何かの決断のきっかけにでもなれれば嬉しい。
最後に、縁起でもないが、大切なことなので。
葬儀については、事前にきちんとどこでどのようにお願いするかを決めておいた方がいい。
まだ生きている間にそんなことをしなくてはならないのは辛いが、死んでからだともっと辛いぞEE:AE5B1
葬儀業者はなぜかクチコミが極端に少ないので、知り合いなどに聞けたら一番いいと思う。
長くなってしまったが、事務的にズラズラ書いていたら気持ちも落ち着いて来た。
腎不全は老猫の多くがかかる病だ。個人的に老猫の腎不全は、老衰のひとつの形だと思っている。
たったひとりで逝かせてしまったことは、本当に辛くて辛くて仕方がない。
しかしラッキーよ、私はあと3猫を育て、看取り、送り出さねばならんのだよ。
必ず後から行くから、泣かないで。待っていて。