人間のクズ!

敵は自分の中にいる。ちょっとだけ抗ってみたくなった、ぽ子55歳。

ラッキー、腎不全11

病院へ行き、血液検査をした。

結果は過去最悪で、前回の入院前に戻ったような状態になっていた。

なので治療方針も、同じように問われる。

・危険な状態なので何が起こるか分からないが、回復の可能性にかけて入院、点滴(前回の選択)。

・連れて帰る(通いで点滴、自宅で点滴など、その後の選択肢もいくつかあり)。

即決は難しかったが、決めなくてはならないのである。

前回軽快したこと、そしてやはり希望があるならすがりたい気持ちが先走り、入院させてしまった。

しかしその後、ずっと迷っていた・・・。

慢性腎不全の末期だ。これで軽快したとしても、いずれまた同じことの繰り返しになる。

いつかは決心して看取るか、入院先で死ぬことを恐れながら入退院を繰り返すか。

どこかで決断しなくてはならないのである。

一日でも長く生きていて欲しい。

そばにいて欲しい。そばにいてあげたい。

苦痛やストレスは与えたくない。

これらは同時に叶えられないのだ。優先順位を考えた。

とにかく一番は、絶対に入院先で死なせたくない。

もうこれで、ひとつの結論は出たようなものだった。

しかし、一番効果的な治療法を捨てることになる。

断腸の思いだが、もうすぐ19歳だ。良く生きて来てくれた。

入院のストレスや心細さもあるだろう。余命が短くなっても、家族が揃うことを選んだ。

もうひとつ考えなくてはならなかったのは、その後の治療法だ。

放っておけば食欲も落ちて水も飲まなくなり、尿毒症で死に至る。

それを緩和するために、皮下輸液をするかどうか。

色々調べているのだが、尿毒症についての見解は大きく分かれていて、判断に苦しむところであった。

脱水が進み尿毒症が始まると、吐き気や気持ち悪さなどで具合が悪いまま、最後には痙攣発作で苦しんで死んでしまうという説。

こうならないために、ギリギリまで輸液はするという。

逆に、もう飲まず食わずになったら、それは自然死の始まりであり、尿毒症になる頃には意識朦朧として苦痛はないという説。

ここに輸液だ強制給餌だと無理に体内に色んなものを入れると意識はその分しっかりし、いつまでも苦痛を味わうというのだ。

食べなくなり、飲まなくなり、動かなくなり、枯れるように死ぬ。

これが苦痛なく、自然な死であると。

ネットではどちらのケースも見受けられ、どちらが正しいとも言えない感じである。

ただ、輸液をする人の方が多いようではあった。

これはそちらが正しいからというのではなく、少しでも希望を捨てたくない飼い主の気持ちの表れではないかと思う。

とにかく、苦しませたくない。

嫌がることもしたくないが、嫌がることをした結果、苦しみが少なくなるという場面もあるだろう。

看取りの退院と言う結論は出したが、そこから先はまだどうしたらいいのか決めかねている。

とりあえず自宅での皮下輸液の準備をお願いし、万が一の時に苦しみを取り除くような方法(薬?)がないかと相談してみようと思う。

しっかりしろ、自分・・・。