5月14日。早いもので、あれから2年。
悲しい出来事は、季節を肌で感じて思い出すことがある。
春が夏に変わりつつある、煌めく陽気。軽く湿気を含んだ空気。
ああ、もうすぐ来るんだな、と気づく。
母の命日。
薄情なようだが、もう悲しいとか懐かしいなどの感情は湧いてこなくなった。それは単なる記憶として、刻まれている。
忘れたわけではない。不思議と、良く思い出す。そこに感情が伴わないだけだ。
母自身が私を「ドライに育てた」と言っただけあり、私もまた、母に対してあまりベタベタした愛情を持たなかったのかもしれない。
それが欲しかった頃もあったが、手に入らないことを悟った。理屈ではなく、自然にそうなった。そうなるしかなかったのだ、手に入らないのだから。
皮肉だが、それがこうして今、引きずることなく生きていけることに繋がっているのかもしれない。
母の好きな食べものでも作って供えようと思ったのだが、思いつかなかった。
学ぶこと以外に、欲のなかった人だったように思う。
花は好きだった。花と音楽。
今夜は、ごく晩年まで欠かさなかったという少量のビールと庭に咲いたバラをテーブルにセットして、最期の日々に繰り返し聴いたバッハでもかけながら献杯しようと思う。
誕生日すら覚えられなかった母の、命日はしっかり刻まれてしまった。