覇気のない子供であった。
何かに長けている訳でもなく、何かに打ち込むでもなく、動くのが嫌いで寝るのが好きなつまらない人間であった。親にとっては、さぞかし育て甲斐のない子供であったことだろう。
反抗期に入ればさらに酷くなり、私は堕落した。そのまま這い上がることもなく、年齢だけは大人になる。
こうして何も得ることのない人生を送ってきたのだが、ここへきて「努力」というものに目覚めつつある。
努力は結果を生む。
努力しなくても結果は出るが、ろくでもない結果である(笑)それが今の自分である訳だが、努力はすれば、多少の差はあり、結果は必ずついてくるようなのである。知らなかった。
そんな事が楽しくも嬉しくもあり、今年の抱負はまるで高校生のような抱負になってしまった。
「努力」とは「徒労」だと思っていた。
私が無芸なのは、資質がそもそも違うからだと思っていた。そう思うことで、「徒労」を避けていたフシもある。
「自分はこの程度である」と自分で限界を作り出し、無駄に努力をしないようにしていたのである。
私の周りには、すごい人がいっぱいいる。
楽器を弾くのが上手い人。
絵を描くのが上手い人。
やり遂げる人。
世の中は、不公平にできている。しかし不満はなかった。みんなそのような星の下に生まれてきたのだ。今さらどうこう言うものでもない。
そう思っていた。
しかしだ。遅ればせながら、かなり遅ればせながら、30年ばかり遅ればせながら気がついたのである。
私はまだ努力をしていない。
努力したら、すごいことになるかもしれないぞ。
徒労かも分からないが、すごいことになるかも分からないじゃないか。
私はまだ何もしていないのである。まぁちょっとはやったが、疲れない程度だ。
ところが恐ろしいことに、その「疲れない程度」ですら、少しばかりの結果を出しよった。
だからやっと気づいた次第である。努力は裏切らない。私にも可能性は残されている。・・・かもしれない。
今年は少し、欲張ってみようと思う。目標を少しばかり高めに掲げ、頑張ることを欲張る。
恐らく一番努力を要するのは、このモチベーションを保ち続けることだろう。
正月ハイだ、6月にはもう従来の私に戻っているかもしれない。
しかしもう、マイナスの結果を想定してそこを基準にするのは止める。
2014年。
何かが変わる年にしたい。
まずは早寝早起きからだ!!ハッハッハ。