人間のクズ!

敵は自分の中にいる。ちょっとだけ抗ってみたくなった、ぽ子57歳。

パート履歴

今週のお題「こんなバイトをしてました」

 

バイトのお題、前にもあったよね!?

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同じこと書いても仕方ないから、今回はその後結婚してからのパートのことを書くことにする。

 

・本屋

結婚して出産、その後初めて就いた仕事であった。

この仕事についても過去のお題で書いているので、興味がある方(いるのか?)はこちらどうぞ。

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・機械組み立て

もう後はずっと、工場勤務だ(笑)

小さな小さな会社で、7、8人ぐらいの流れ作業だった。

色々作ったが、よく覚えているのがマランツのミキサー??本格的なでかいやつ。

順番に組み立てられて流れて来たものの検査、調整をやった。

性分で、こういった「作業」はバリバリこなしたくなってしまうのだ。その方がやりがいがある。

そのせいで私の作業が早く終わって次にどんどん流れて行くため、次の人のところにどんどん溜まるようになってしまった(笑)

おばさん、めっちゃブーブー怒ってしまったので、おばさんの分の仕事も私がいくらか前倒しした。むしろそれがまた挑戦要素になり、燃えてしまう。

頑張れば頑張る程におばさんの怒りを買った。

ある日出勤したら、ドアが開かない。ガチャガチャ取っ手を回したら隙間から社員がこちらを覗き込みササッと入れてくれたが、会社が不渡りを出してしまったとかで仕事がなくなってしまったのだ。

一体なんだったんだ、あの不穏な感じは。不渡りとは。

 

・部品検査

機械部品の検査だ。色の配置が決まったカラフルなコードで、その配置が合っているかを検査するのである。(EIA-359標準カラーコードというらしい。)

茶赤橙黄緑青紫灰白黒、覚えてるぞ!30年前のことだ(笑)

ほんっとうに、このコードだけの検査である。めっちゃくちゃたいくつだった。

例によってバリバリこなしたくなりはしたが、さすがに飽きた。それでも数年はいたかな?

飲み仲間ができたことが大きかった。仲間達との付き合いは楽しかった。

 

・クリーニング工場

本当にキツい仕事だった。仕事がキツいだけでなく、人もキツかった。

社員が本当にクソで、こうなったらある程度仕事ができるようになったら突然辞めてやろうと心に決めたのだった。そのためなら何でも耐えてやる、と思えるほどクソ社員だったのである。

それが、気が付いたら7年だ。

自分でも思いもよらない結果だが、案外あの体育会系のノリが性に合ったのかもしれない。

体力もついた、忍耐力もついた、そしてそれは私の大きな自信となった。

いい経験をしたと思う。

 

・配達助手

宅急便の配達助手。ドライバーさんの隣について、分け合って配達するのである。

クリーニング工場で自信をつけたので、これも頑張れた。

短期バイトだったが、新しくできる営業所の事務をやらないかと声をかけて貰った。

事務はダメだった(笑)たいくつすぎて、すぐ挫折。

その後もう一度繁忙期に呼ばれて少しばかり働いたが、すでに他の仕事をしていてWワークになっており、これを最後にお別れとなった。

ドライバーさん、いい人ばっかりだったなぁ。

ブログを始めたのはこの頃だ。

 

・機械製造

一体何を作っていたのか、未だにわからない(笑)何をやっていたのかも説明しにくい。

立ち仕事でパネルに機械で「塗る」のと、座り仕事で塗ったもののバリをひたすらニッパーで切るのと。

ニッパーで切るのは退屈過ぎるが、塗る方は難易度が高く責任も重い。

ここでも飲み仲間ができて、楽しく過ごしてはいた。

これが私の最後の仕事になった。

 

まだ働く意欲はあるが、体力的なこと(主に夏)と老猫の世話があるので、現状に甘えている。

しかし今この生活に仕事が加わるとどうなるのか、正直まともに回せる気がしない。

まぁなるようになるだろう。その時が来れば、その時が来るだけだ。

今を精一杯頑張る。