父の誕生日だった。
父と言えば、3月に仲たがいしたまま、どちらから歩み寄ることもなく時間だけが流れていた。
もうすぐ誕生日だなぁと思いはしたが、特別何かをしようという気も起きなかった。
私を拒絶したのは父だ。もう私からやれることはない。というか、やる気はない。ボールは向こうにある。
そう思えるだけ、気は楽だった。これは父の望んだ道なのだ。なら、それでいい。
そんな父が突然電話をよこしたのは、10日ほど前だったか。
サクランボを貰ったが食べないので持って行けとのことだ。
何事もなかったかのようにそう言ったので、私も何事もなかったように受け取って来た。
これは父なりの譲歩だと思うことにする。また以前のような付き合いが再開することになるだろうか。
少しわだかまりはあったが、父の誕生日に兄から電話が来た。メールではなく電話である。身内からの電話に不吉な予感がしてしまうのは、私だけだろうか。
そして兄は開口一番こういった。「ちょっと面倒なことになった。」私は身構えた。
迷惑電話が煩わしいので、電話の回線を引っこ抜いてしまったらしい。連絡が取れなくなった。
そんなことをすれば色々面倒が起こるだろうと、兄が直接会いに行くと言っている。兄より私の方が、全然家が近いのだ。私が行くことになった。
こうして偶然、誕生日に父の家へ行くことになったのだ。
スーパーで花だけ買った。
電話が通じないので、予告なしの突撃だ。まともに会うのはケンカしたあの日以来である。
インターフォンを押すと、マンション入り口のドアが開いた。開けてくれたということだ。
部屋に行くと、不機嫌そうな父が迎えてくれた。寝ていたらしい。
テレビ画面では、私が宅急便で送った誕生日プレゼントのDVDが流れていた。
「ちょっと片付けるから待て。」そう言って父はテーブルを動かし始めた。
「いいいい、すぐ帰るから。」
それでも父は、いや、ちょっと、と譲らず、結局テーブル3つを動かし、椅子も移動させ、テーブルの上を片してターブルクロスを敷き、やっと落ち着いたのだった。
もともと年齢なりのボケはあったが、この数ヶ月でそれはさらに進んでいた。
電話の話をしたいんだが、とにかく一人でしゃべり続け、話題はどんどん違う方へ行き、最終的には壁の地図を見ながらシルクロードの説明を始めたのでそこで私は切り上げることにした。
電話の件は譲らず、回線は抜けたままだ。
ナンバーディスプレイやブロックについて話しても、理解できないようで効果はなかった。
兄が安い携帯を探してくれることになった。
89歳だ。
もうさすがに独り暮らしは限界なのかもしれない。
しかし父はこの生活スタイルを変えることを望まないだろう。
地域包括支援センターというところに相談はしたが、最終的には父の意志だ。嫌だ構うなと言われたら、そこまでである。
どうなっていくのか、不安しかない。