父のところへ行ってきたのだ。
退院して体調も良くなったようで安心していたら、今度は家の中でコケたとのこと。
その時にテーブルに頭をぶつけ、何針か縫ったらしい。
自分で病院に行ったと言うが、知らせてくれなかったのだ。恒例の生存確認電話で兄の知るところとなり、私に伝わったである。
肺の水についてもそうだが、危機感がないというか、「これぐらい大丈夫」という気持ちが強くて危なっかしいことこの上ない。生存確認電話の頻度を上げることにした。
心配なので見に行ってくれ、と兄が言うので行ってきたのだった。頭に今風のターバンを巻いて、ちょっと若返っていた(笑)
例によって「飯ぐらい一緒に」というので、散歩がてら駅の向こう側まで行って寿司を買い、部屋で食べた。
テーブルの向きを変えて、寿司は皿に移し替える。
そのまま食べれば楽なのに、こういうところが父だ。食べることを楽しむのに、妥協はない。
「足りない」という思いをさせたくないようで、「食べきれないと思うけど一応」と買った太巻きも、一緒に盛り合わせてしまった。
この辺は私も良く似ている。いつも予定したものを作り切れず、作ったものも必ず余る。
なので「そんなに食べられないからもういいよ!」と言われる父を見ていると、可哀相になってしまう。だから私は今回も、全部たいらげてしまったのだ。
サラダは父が作ってくれた。毎日食べてるものというが、ちょっと驚いた。
トマトとアボカドとブラウンマッシュルーム。残り物の焼いたズッキーニとキャベツ。きゅうりは縞模様に皮を剝き、叩いてから切っていた。まぁこの辺は普段やらんだろうが、なかなかなサラダである。今回限りならわかるが、これを自分のために作るとは、つくづくこの人は本当に食べることが好きな人である。
この他に、やはり毎日食べているというスープ。野菜のごった煮だ。
まぁこれだけちゃんと食べていてくれれば、安心だ。
と言うか、見習えよ、自分。
家族に出すには責任があるので作るが、自分のために私はこんなにできない。
前の日の残りがないと、朝昼はかなり悲惨な状況である。
どうしようもない時は、鯖缶を2回に分けて食べたりしている。作るより耐える方が、私には楽なのであった。
手作りの酢タマネギ(オリジナルだ。赤ワインビネガーに漬かっている)をたくさん貰って帰ってきたのだ。ひもじい朝昼に、しみしみ食べている。
今日の朝は残り物で凌いだが、後はもうスープしかない。昼、どうしよう。
どうしてこの部分まで父に似てくれなかったのか。
ひもじい昼が待っている。