人間のクズ!

敵は自分の中にいる。ちょっとだけ抗ってみたくなった、ぽ子55歳。

過去を塗り替える。

消してしまいたい過去を塗り替える。

 

という話をネットで読んだのだ。

「消してしまいたい過去」を持ってしまうと、過去を振り返れなくなってしまう。

それは「いい過去」をも振り返らせなくしてしまうのだと。

人は「いい過去」を振り返ることで、心のエネルギー補給ができるという。

何度も繰り返し良かった過去を思い出す習慣を作ることが大切だと。

そのためには、「消してしまいたい過去」を何とかしなくてはならないのだ。

 

思い出さないことで文字通り「消す」ことはできる。というか、消せはしないから苦しい訳だが、必死で消そうとする訳だ。必死で思い出さないようにする。

しかし、必死で思い出さないようにしているあたりがもうそれは忘れていないということであり、結局は消すことなんかできないのだろう。

思い出さないように努力するのが関の山だが、人間、そんなに都合よくはできていない。時々向こうの方からやってきては「ギャー!!」と頭を抱えたくなる。

 

そんな過去を、塗り替えるのだ。

塗り替えてしまえれば、思い出す苦痛はなくなる。

自分の人生は記憶の中にしか存在しない、自伝的記憶こそが自分の人生だという。

過去を振り返られないということは、生きてきた証でもある自伝的記憶がぼやけてくるとだと。

過去を、振り返る価値のあるものに塗り替えるのだ!!

 

で、その方法だが、物事はどうとでも捉えられるもので、要は都合のいいように捉えてしまえというだけのことだ。

例えば高校時代に頑張った部活でレギュラーになれなかったという過去を、「頑張ってもダメだった」とするか、「頑張り続けることができた自分を誇りに思う」か。

ネガティブな中にポジティブを見出すのだ。

 

考えてみた。

まぁ散々な過去である。塗り替えたい過去なら腐るほどある。これが全てポジティブな過去になるなら、そりゃ確かに私の過去も振り返りがいのあるものになることだろう。

ところがだ。そんな簡単にはいかないのだった。

例えば、コテンパンに振られた過去がある。

自分も大概だったし、相手のやり方も酷かった。

こんな過去を、どうにもポジティブに転換出来ない。

仮に「あの経験があるから今がある」などと教育テレビめいた言い方をしたところで、私のクソ加減も相手の非道も、変えることはできないのだ。

つまるところ、私のしてきたことは変えられないし、そういった「クソ」的要素は美化できないのである。

サッカーでレギュラーになれないなんていうのは、頑張ったのならどこにも本人の落ち度がない。塗り替える余地がある。

頑張れずに3年過ごした人は、どう塗り替えたらいい?

テレンテレンに過ごして、当たり前のようにレギュラーになれない。

これだって、思い出したくない過去だ。

「いや~~、練習サボッて食べたアイスの旨かったこと」「プレッシャーもなくてのびのび過ごした3年間」と塗り替えるのも、ちょっと違うような気がする。いや、そんな風に塗り替えたら、人としていかんだろ。

 

やっぱり受け止めなくちゃならない過去はあるし、それが苦しいのにはそれだけの理由がある訳で、都合よく塗り替えたりなんかしちゃいけないんじゃないだろうか。

先に書いた例のように、本人に落ち度がない場合はいい。無駄にネガティブになる必要はない。君は頑張ったよ。いい経験をしたんだよ。

しかし自分がやらかしたことの重みは、忘れちゃいけないと思う。

思い出したくなんかないけど、そういうことほど忘れられないものだったりするのだ。

そういう意味ではちゃんと、自分は自伝的記憶を持っている。ちゃんと、記憶の中に生きている。

 

ということで、記憶の塗り替えには失敗した。

しかしあの過去を含めて自分なんだと、あの経験が自分を構成しているんだと知ったのだ。

だから「今」、頑張りたい。あの過去が、今を頑張る力になる。

そういう意味では、今、私はあの過去を塗り替えているところだ。

 

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