4匹いた猫は2匹になり、代わりに犬が1匹増えた。
しかし残る猫は高齢、永遠の命はない、いずれ別れが来るだろう。
先立った先住がうちに来たのは、平成12年。
かれこれ25年間、猫と暮らして来たことになる。
猫のいない人生が考えられない。
色んな失敗や学びがあった。
私は最後に、「理想の飼い方」の1匹を、子猫から育てたかった。
完璧に育てる。
人間の赤ちゃんと同じ、3時間授乳。あの苦労を、またしたい。
車と爪切りに慣らせ、何でも食べさせる。歯磨きもする。保険に入る。
やっておくべきだったと悔やまれることである。
最後にもう1回、最後の1匹で最善を尽くすつもりでいた。
しかし私ももう、56歳だ。
猫の寿命は、長ければ20年もザラの時代である。果たして最後まで面倒を見られるのか怪しくなってきたのだ。
いや、それも誰かに託す準備をすることが可能ではある。
自分以上の愛情を注いでもらえる保証はないが、路頭に迷うよりはいい。
しかし私は、もうこれ以上動物は飼わないことに決めたのだ。
物価は上がり、世界情勢は不穏だ。
これまでになかったような大変な世の中になる可能性はないのか。
戦争、経済恐慌。
「食うに困る」という状況になったこともなく、そんな日が来るなどと思ったこともなかったが、もしそんなことが起こったら。
お腹を空かせてやせ細る猫を、ただただ見ているしかないのか。
爆撃、空襲。
そんな中で、猫を守れるのか。
責任感の問題ではない。目の前で苦しむ猫を、見たくない。
猫のいない生活は、ほとんど恐怖と言っていいほど恐ろしい。
でも結局、最後はみんなひとりだ。ひとりになっていくんだ。それを先延ばしにしようとしていただけだった。
ひとつずつ、手放していく。そんな年齢になった。
ラッキーもミュウも死んだ。母も死んだ。これからもみんな順番に、あるいは突然にいなくなっていくだろう。
私が生きている限り。
辛い日も、乗り越えた。
ひとりにだって、きっと慣れる。