穏やかな時間が流れている。
ラッキーは、まだ頑張っている。
もう寝たきりで、ただ薄目を開けて横たわっているだけだ。
あんなに頑張っていたトイレも行かれなくなったので、ペットシーツを敷いた上に寝かせている。
発作の後はダンナに任せて私が先に寝たのだが、起きてみたらダンナはラッキーを膝に乗せていた。
ちょっと前までは、すぐに嫌がって降りていたのに、落ち着かないラッキーをここに乗せたら静かになったという。
それから交代で、膝に乗せている。
本当に、静かだ。
苦しそうなそぶりもないが、ただグッタリしているだけなのかもしれない。
もうこんな状態なので、強制給水も止めた。
止めた、んだけど、やはり脱水が心配で仕方がない。
何度かシリンジで少量を入れたが、歓迎されてはいない感じだ。ただ気力がないので、仕方なく飲み込んでいる感じだ。
それもしまいには吐いたので、さすがにもう止め時か。
こんなんでもオシッコはしっかり出ている。
それを思うと、諦められない自分がいるのだ。
そう、やっぱり私は結局、受け入れられていない。諦められていないんだろう。
こんな状態でも、ネットの誰かの回復劇などを読んでは希望を繋ごうとしている。
食べていたチキンの匂いを嗅がせてみたら、スッと首を伸ばして関心を示したのだ。
口元に持って行くと口には付けたが、そこまでだった。
それでもまだ食べるという本能、そんなものが残されていることに驚いた。
まだ、生きている。
少しずつ何かを失いながら、それでも体は生きようとしていることを感じる。
と同時に、体は死のうともしているのだ。
逆らっちゃいけない。
わかっちゃいるんだけど・・・。