ミュウが死んでしまったことはすでに書いたが、最後の日のことを書き残しておきたい。
静かであった。
普段テレビをつけっぱなしたりしないので、いつも静かは静かなのだが、ことさら静かに感じる日であった。
ミュウはもう、歩くことができなくなっていた。
それでも動きたい意思はあるようで、立ち上がろうとする気配があると、お腹を持ち上げてやる。
足が軽く床に触れるぐらいの高さにしてあげると、自力で歩いているように前へと進んで行く。
行き先は、いつも水場だ。
そしていつも口をちょっとつけて、諦めたように向きを変えてしまう。
シリンジで飲ませようとしたが、嫌がるのでこれはやめた。
ストローで吸い上げた水を口の端から入れると、いくらか飲みやすいようではあった。ただむせるので、体力を消耗してしまう。
できることは、指先を濡らして口を湿らせてやるぐらいであった。これは受け入れてくれた。
呼吸はかなりゆっくり、体を支えると心臓がバクバクいっているのが伝わって来る。
ただ、穏やかではあった。
声を掛けると反応して体を起こそうとするので、そっとしておいた方がミュウにとってはいいのだろう。
私も我慢だ。世話を焼きたくなるのをグッとこらえて最小限にとどめる。
このまま静かに逝くのだろうか。
できることなら、腕の中で看取りたかった。前兆があるなら、それを逃したくない。
私はネットで情報を漁った。
しかし最期の様子は様々で、そこに立ち会えるかは偶然の要素も大きい。
この晩は私もダンナも、リビングでミュウを挟んで眠った。
ミュウは夜中に何度か鳴いた。
か細い、今にも消えてしまいそうな声だ。
猫は、親猫、または自分の子猫に対してしか鳴かないという。ミュウは「親」である私達を呼んでいるのである。
もう目を閉じることもできず、瞳孔は開きっぱなしだ。混沌とした暗闇の中で、必死で呼んでいるのだ。
その全てに答えられるよう、ひとつひとつに返事をする。大丈夫、安心して。
こうして朝になった。ミュウは這って、すぐ隣にまで来ていた。
ダンナは名残惜しそうにミュウに声を掛けて、仕事へ行った。これが最後になるかもしれないという思いだっただろう。私も辛い。
ミュウをよく見ると、少し呼吸が早く大きくなっていた。これは前兆なのだろうか。
前夜はよく眠れなかったので、ミュウを胸の上に乗せて寝ることにする。
ところがミュウは下りようともがいたのだ。下ろしてやる。
しばらくウトウトとしたようである。
またミュウが鳴いたので、口を濡らしてやることにした。
見ると、口呼吸になっていた。「前兆」だ。私はミュウを膝に抱いた。今度は嫌がらなかった。
撫でたり声を掛けたりしたが、芳しい反応はない。意識があるのかないのかも分からない。時々、ピクンと軽いけいれんがあった。
やがて呼吸の間隔が長くなり、このまま止まるのかと思われた。その時。
仕事を終えた娘ぶー子が現れたのである。
「ミュウ、死にそうだよ、早く!!」というとぶー子は部屋に飛び込んできて、ミュウを撫でながら声をかけた。
家にいた頃には、ミュウをとても可愛がっていたぶー子。相思相愛であったと言っていい。
呼吸はもうすっかり止まるかと思われたが、なんと、ここから持ち直したのである。
とは言ってももう、いわゆる危篤状態だ。呼吸のペースが戻っただけで、相変わらず口呼吸で反応もない。
撫でたり声を掛けたりして時間は過ぎて行ったが、やがて口が少しずつ大きく開いてきたのだ。
恐らくこれが、最後の前兆だったのだろう。それからグンとひとつ大きなけいれんのような伸びをして、ミュウの命は消えた。
別れは辛く、悲しい。
しかしそれと同時に、私はミュウが誇らしかった。
最後まで立派に、やり遂げた。ミュウよ、良く頑張ったね。
別れは本当に辛く、悲しいけど、ミュウは大きなものを残していった。
それを大切に、生きていくよ。