「ロスタイムライフ」というドラマがあった。
死ぬ間際に、自分が無駄に過ごした時間を「ロスタイム」として与えられるのである。
そこで主人公は、やり残したことをやり遂げるチャンスを与えられるのだ。
病に伏せるラッキーを見ていて、思い出した。
2度の死線を乗り越え、今また3度目の、恐らく最後になるだろう危機に向かっているところである。
諦めていたら、とっくに死んでいただろう。あれから今日までの日は、プレゼントである。ドラマで言えば、ロスタイムだ。
あの時死んでいたら、私には大きな悔いが残されていたはずだ。
こうして最後に全力を尽くすことができ、感謝したい。
しかし、その後に待ち受ける別れが、恐ろしい。
5月に母を亡くしているが、不思議なことに今は、全くと言っていいほど悲しくはない。
そもそもそんなに悲しんだ頃があったのかと思う程だが、辛かった時は確かにあった。
これを「乗り越えた」というのだろうか。
ならばラッキーの死も、乗り越えていけるだろう。
母の入院は、10日間だった。
もともと悪かった容体はどんどん悪くなっていき、「ひとりで苦しませたくない」、「ひとりで逝かせたくない」という思いから、家族3人24時間体制で付き添っていた。
目を離すと呼吸器を外してしまうので、ずっと手を握っていた。
簡単なことではなかった。
異変があれば看護師さんを呼び、母の要求にできるだけ応え、少しでも安らかであるよう母の好きだった曲を聞かせ、懐かしい話をし、こうして母のロスタイムを消化していったのだ。
3人では足りなかった。みんなクタクタだった。
特に兄は仕事と病院で一日が終わるような状態で、まともに休んでいなかったはずだ。
誰かが休めば、誰かに無理がいく。
一度、深夜2時に兄と交代したことがあったが、寝不足よりも7階の病室に入るまでの恐怖がキツかった(笑)
このままじゃ、もたない。誰か人を雇うか、少しの間ぐらい病院任せにするか。
そんな話も出たが、結局3人でやり切った。というか、母の方がもたなかった。
大変だったけど、あの時間があったから、今こうして前を向いていられるのかもしれない。
精一杯ラッキーに尽くして精一杯悲しんだら、自然と忘れてしまうだろう。
きっと、いい思い出だけを残して。
別れは怖いけど、乗り越えられると信じている。