恐れていた月曜日がやって来た。
水曜日にミュウが死んでから、日常とはかけ離れた生活を送っていたのだ。
いつもの生活に戻ることで、そこに足りなくなったものを知るのが怖かった。
お気に入りの場所には、もういない。
最後の日々を過ごした座椅子の上にも、もういない。
今は骨壺がふたつ並んでいる。
ラッキーとミュウは並んでご飯を食べていたので、ラッキーが死んでもそこには変わらず食事スペースがあったのだ。
トイレの数もそのまま、そういった部分での変化は幸いあまりなかったのである。
しかしそもそも4匹だったものが2匹にまで減ると、変化を感じない訳にはいかない。
トイレ掃除の頻度も、ご飯の頻度も、彼らの何らかの要求に応える頻度も、グッと減った。
しかし、楽になったとは考えることができない。
その時は面倒だと思ったことも、実は大したことではなかったと知る。
世話をできることの有難さよ。
立て続けにゲロを吐かれたり、誰かのご飯をちょっと入れているだけで次々他の子が現れて鳴かれたり、そんな時は私も思わず「勘弁してくれ~!!」などと泣きが入ったりもしたが、賑やかで良かったじゃないか。
あれもまた、幸せの形だったのである。
母が死に、ラッキーが死に、ミュウが死に。
家族の死を迎える度に、ひとつの時代が終わったような気持ちになる。
全員が揃って笑顔でいられた日は、もう二度と戻らない。
今はもう、後から来た2匹だけになってしまった。場所取りの争いを見ることもなくなるだろう(なくなるんだろうな?おい、大五郎よ)。
コロナ禍において、「ニューノーマル」などという新しい生活様式が生まれているが、我が家のニューノーマルに慣れなくてはならない。
この悲しみを共有できる家族がいたことは、幸いである。
私達はこの数日間、泣いたり笑ったりしながらミュウとの別れを偲んだ。
充分時間は貰った。
前を向いていこうと思う。
あともう一回だけ、ミュウのことを書いて終わりにしたい。
ダラダラすみません。