とっぷりと日が暮れ、花火大会の時間が近づいて来る。
私達はビヤガーデンで、その時が来るのを待っていた。
見上げると、観覧車の向こうに星が見える。
不思議な気持ちだ。
思えばこうして空を見上げることなど、なかなかない。
それはどこかの行き帰りであったりして、いつも何かの「ついで」なのである。
黒く塗られた大空の下で、心地良いため息をつく。
そして、最後に星を見上げた時のことを思い出していた。
私達は病院の裏口で、母が出て来るのを待っていた。
とうとう、生きて帰ることはできなかった。
信じられなかった。私は最後まで希望を持っていた。
そして母自身、この入院が人生最後の時間になるとは思っていなかっただろう。
生きて、ここに来て、死んで、帰っていく。
病院には、そんな筋書きもあったのだ。
霊安室に安置された母は、もぬけの殻だった。
何の意思も持たず、動きもせず、ただの抜け殻だ。
逝ってしまった。何も残さずに。
なぜか、妙に納得していた。
ここにはもういない。
あるのは、かつて母であった空っぽの入れ物だけだ。
その母が葬儀屋の車に運ばれるのを、裏口で私達は待っていた。
ずいぶん待ったと思う。
父と、兄と、兄嫁さんと、ダンナ。
神妙に一列に並んで、ただ待っていた。
なかなか現れないので、ふと空を見上げる。
一番星だろうか。
博学の兄嫁さんが、あの星は何と言う星だとか言っていた。
みんながその星を見ていた。
なぜ、母を亡くしたのにこんなに和やかでいられるんだろう。
静かで、暖かい。
その時、父が思い切り放屁した。
10数年も疎遠にしていた父だ。やっと少しまともに会話ができるようになったかというところである。
私は呆気に取られて父を見た。
「ちょっと今・・・!?」
父は穏やかに笑い、遠くを見て言った。「お母さんがしたんだよ!」
死人に口なしをこのように利用するとは、母よ、何とか言ってくれ。
やがて、布をかけられた「母の入れ物」が運ばれてきた。
母はどこへ行ったのだろう。
あれから3ヶ月。答えは出ない。
ただ漠然と、また会えるような気がしている。
そして、結局みんなそこに行くような気がしている。
だからもう、あまり悲しくはない。
喪失感はあるけど、今はそのスイッチの場所を知っている。
私はそれを時々こっそり押して、母を偲ぶ。
また、会おう。