父のマンション近くの、大型スーパーに寄っていく。
以前住んでいた街だ。昔は時々来ることがあったが、数回の引っ越しを経てすっかり縁がなくなっていた。
そんなスーパーの入り口を通ると、凄まじいデジャヴ感。
共に、ゾッとする様な嫌な予感。
ああ、そうだ、・・・・・。
ここ、この間来たよね。母の服を買いに。
亡くなった母との最期の10日間。
疎遠にしていた期間を埋めるように、私は忘れないよう何度も反芻していた。
それでもこのことは忘れていた。病院の外だったからか。
「お母さんの着る服を用意するように、看護婦さんに言われた。」
兄からメールが来た。
母の着る服。
モルヒネで意識もはっきりせず、もう全くコミュニケーションはとれなくなっていた。
ここで言う「服」は、退院するための服ではない。
それでも私は諦めていなかったのだ。この最後通告のような言葉は私を打ちのめした。
しっかりしろ、母が最後に着る服だ。ちゃんと用意しなくてはならない。
極めて事務的に、私は用意することにした。
父にも伝えたが、普段着ばかりでいいのがない、服とかオレは良く分からんとのこと。
それで買いに来たのがこのスーパーだったのだ。
兄との付き添い交代の時間が迫っていたので、私は焦っていた。
重大な任務だ。適当にしたくはない。
白地に黒とグレーの大柄の花模様のブラウス。
思い返せば私は母と、何度も服を買いに行ったことがあった。
母は痩せているので、首回りがあまり開いていない服を選んでいた。
これにグレーのパンツを合わせた。
「先ほど入ったばかりのブラウスなんですよ。」
店員が笑顔で言った。
母と一緒にこの服が消えるまで、あと時間はどれ程残されているのだろうか。
やがて私は、激しい空腹感を感じた。
食べ物が喉を通らず、ウィダーインゼリーばかり食べていたが、急かされるように私は食品売り場へ向かった。
欲するがまま、牛肉のカルビ焼きが載った弁当を買い、家に戻った。
それを半分ほど食べたところで、兄から電話が来たのである。
「急いで、気を付けて病院に来て。」
父と一緒に、と言われたが、急ぐことを優先するなら別々に行った方が早い。
私は車で、父はタクシーで向かった。
父と一緒に行っていたら、間に合わなかっただろう。母は私が着いてものの数分で亡くなってしまった。
遅れて着いた父は、しばらく状況が飲み込めないようだった。いや、飲み込みたくない、という感じでもあった。
私は買ったばかりの服のタグを外していった。
私は初めて、父が母を名前で呼ぶのを聞いた。
ぼんやりとそんな事を思い出していたら、父からスマホに電話がかかって来た。
「ぽ子か?悪いんだけど、来るときにレモン4個買って来てくれないかな。」
私の人生から母が消えて、代わりに父が入って来た。
十数年ぶりの、家族の団欒が待っていた。