父の誕生日であった。
父の日の翌日でもあり。
コロナ禍でなかなか会えなかったのだ、こうして兄と3人で集まるのも、一年ぶりだ。
父の希望は「旨い魚」と「野菜をたっぷり」。
しかし自分の中の理想は確固として決まっているようで、そうではない、こうじゃないのかと文句が多い。
魚は自分の行きつけで買って欲しかったようだが、兄のカツオを見て「これはいいカツオだ。」と絶賛してくれたので良かった。
私のプチトマトはお気に召さなかったようで、兄が後で普通のトマトを買って来ることになった。
そんなこともあろうと、マッシュルームとアボカドは二日酔いにムチ打ってちょっといいやつを買っておいたのだ。
先に面倒は済ませてしまおうとマッシュルームをスライスしたら、なんじゃこの感触。
いつも値下げのマッシュルームばかり買っていたので、ちょっとした衝撃だ。新鮮なマッシュルームって、こんなにフワフワなんか!
変色したらよろしくなかろうとレモンを振ってみたが、それすら勿体ないような気になってきた。父宅で、切りたてを出してやろう。
そして、切ってしまった分はその場で手づかみで食べたが、めっちゃくちゃ美味しかったので二度びっくり。
新鮮なマッシュルームはレモンだけでも美味しいぞ!
窓際にテーブルが用意されていた。
なぜか織物や布類が好きで、旅行に行っては良く買って来るのだ。そんな中のひとつと思しき布が、テーブルにかけられていた。
食に関しては、粋なことにこだわる父。
しかし皿やグラスには相変わらずこってりとした油がこびりついており、これを洗うところからのスタートである。
父のこだわりと各皿の洗浄とで、食べるまでの準備に毎度どえらい時間がかかる。
やっと乾杯して席に着くと、「風が通るからエアコンはいらないよな」と父。
おっと気になっていたことがあったのだ、チャンス。
「これ、私達の声がだだもれだから窓閉めた方が良くない?」
どうも父から聞いた感じだと、隣とはあまりいい関係にないようであった。
父が身内であることを考慮したジャッジでも、恐らく悪いのはほとんど父だ。
入居時に挨拶すらせず、自分の出す音には無頓着。
「引っ越しした時に本棚作るのにうるさくしたから、怒ってんだろ。」
そこまで分かってて挨拶すらしなかったんだから、怒ろうものである。
「じゃあこうしよう。」と言って父は左右を入れ替えて窓を開けたが、こんなんで何が変わるのか?
そして隣の悪口を言い放った。
気に入らない人ばかりだ。
隣人。
スーパーの店員。
医者。
家族である私も、兄も、母も、嫌悪されていた時期があった。
嫌いな人がそばにいるということが、どれだけ自分にストレスを与えているのか。好きになれとは言わないから、せめてスルーできればもっと穏やかに暮らせるだろうにと思う。
悪口を排泄してスッキリするならまだいい。最後の親孝行として、ゴミ箱ぐらいにはなってやる。
しかし父のネガティブな感情は、外に出せば出すほど膨らんでいくようで、最終的には周りも巻き込んでしまう。
できるだけ触れないように、できるだけ小さいうちに、その感情を元のさやに戻すのが最善と知った。
幸せになって欲しい。
穏やかに生きて欲しい。
そう願うことも、結局は私のエゴだ。
人は、人を変えられない。
こんな感じなので、深酒する私達の集いは常に衝突のリスクをはらんでいる。実際に衝突したことも、何度かあった。
今回も危ない場面はあったが、兄と私とで都度割り込んで緩衝材となった。
つくづく思うが、やはり緩衝材は最低2人欲しい(笑)
俺様を祭り上げるのも大変だ。
それでもいなくなるのは、寂しい。
こんな時を、「良かった頃」として思い出す日も来るだろう。
家族とは、試練であり、プレゼントでもある。
父が残すであろうそれが、今から想像できて、切ない。