人間のクズ!

敵は自分の中にいる。ちょっとだけ抗ってみたくなった、ぽ子55歳。

世界で一番の

特別お題「今だから話せること

 

早く死んでくれとすら、願っていた。それだけでは気が済まず、何度も口した。

 

十数年間絶縁状態にあった、父。

短気でキレやすく、若い頃は良く殴られたものだ。

大人になって手を上げられなくなれば、暴言の限りを尽くした。

「お前なんか生まれてこなければ良かったんだ」

この言葉が、絶縁の引き金となった。

 

本当は、分かっていた。それは父の本音ではない。

あの人は、言い負かすためなら何でも言う。

それでももう、ウンザリだったのだ。

父はこのあと、兄や母を使って食事に誘うはずだ。そして何事もなかったように、もとに戻してしまう。

許したんじゃない。面倒だから、飲まれてやったんだ。

そんなことに父は気づかず、うまくまとまったと思っている。

冗談じゃない。

もうこんな茶番を演じるのは御免だ。

その後も父は、あの手この手で私を誘い出そうとしたが、私は徹底的に父を遠ざけた。

私がダメだと分かると今度は、娘を引き出そうとした。それにも腹が立ち、私は娘も束縛した。

やがて諦めたようで、完全に疎遠となった。

 

再び私達を引き寄せたのは、母の死だった。

危篤状態の母を見守るため、父と兄と3人の協力が必要になったのである。

極力かち合わないようにはしていたが、協力し合うために接触は避けられない。

最低限の言葉で目も合わせずにいたものの、やがて「母を看取る」という共通の試練のもと、少しずつ関係は和らいで行った。

母の死、という大きな悲しみを共有する、家族という関係。

父と母との関係も決して良好ではなかったが、父の涙を見た時、父は思い通りに手に入らないものに対するジレンマのようなもので暴れていただけだったのかもしれないと思った。母に対しても、私に対しても、もしかしたら兄に対しても。

 

 

「もしもし?」

「あぁ、おお、お前か、元気ですよー。」

一人暮らしになった父の生存確認のため、兄と交代で電話するようになった。

電話の声で、父の顔がほころんでいるのが分かる。

父は、私のことが大好きだ。

たぶん、世界で一番、私のことを愛している人だ。

昔からそうだった。私は分かっていた。

ただそれはひとりよがりで、重過ぎて、素直に受け取りにくいものだった。

今だってそれは、変わっていない。

それでも今私は、不動の、絶対的な、大いなる、父の愛というものを素直に感じている。

86歳。そう遠くない将来、父はこの世を去っていくだろう。

せいせいするはずだった。

今、父を見送るのは辛くなってしまったけど、最後に私ができることだ。

父より長く生きる。

 

きっと父に、私の死は耐えられないから。