子供の頃、布団の中で「もしお母さんが死んじゃったらどうしよう」と考えて泣いていたことがあった。
まだ団地に住んでいた時のことだ。恐らく母は私のすすり泣く音に気づいたのだろう。「どうしたの?」と言って部屋に入って来た。
私は、なぜ私が泣いていたことが母に分かったのかとても驚いた記憶がある。
母は、90でその生涯を閉じた。
私が泣いた夜から、恐らく40年は生きてくれたことになるだろう。
ここ数年はもう一生会えなくてもいいと覚悟していたが、私は激しく後悔した。
病院に駆けつけたその日、母は「ゆっくり話がしたい」と言った。
しかし母の口数はその後どんどんと減っていき、お互いに多くの事を語れずに別れることになってしまった。
「元気になったらまたみんなで集まろうね」というその言葉の空々しさ。
私は母を遠ざけたことを、心の底から悔いた。
それでも私は、最後まで諦められなかった。
モルヒネを使い、深い眠りに落ちたその後も、こんなに楽になったんだからその間に体力が回復するかもしれない、薬が効いてくるかもしれないと。
「急いで病院へ来て」と言われるまで、希望を捨てていなかった。
良く「まるで自分を待っていてくれていたかのように」という場面があるが、母も、私が到着して手を握り、その後ものの数分で逝ってしまった。
目を開けたとか、言葉を発したとかいうような奇跡的なことはなかったが、母は私の到着を認識したと、私は思っている。
残されたのは、私と兄と父。
私と父が和解した(というか、自然とそうなっていた)ことは、兄が母に言ったようだ。
母はとても驚いていたという。
新しい家族の形の始まり。お母さん、安心してね。
母の死は辛く悲しいけど、まだ意識のあるうちに会えた。
苦しむ母の看病で私達の体力は限界を迎えていたが、全員が交代でゆっくり寝たその翌日に母は逝った。
一日でも早かったら、誰かが倒れていたんじゃないかと思う。
家族がひとつになり、みんなで母を送り出すことができた。
欲張ったら、きりがない。
母の死は辛く悲しいけど、これ以上は望めない。
お母さん、ありがとう。
お疲れ様でした。