人間のクズ!

敵は自分の中にいる。ちょっとだけ抗ってみたくなった、ぽ子55歳。

科学では説明のつかないこと。

母は、入院してから10日で亡くなった。

私が会いに行ったのは入院した翌日だったが、すでにもう状態はかなり悪かった。

コミュニケーションを取るのも難しい中、不思議なことがいくつか起こったので、書き残しておきたい。

いつか同じような状況になった時に、少しは助けになってくれればと思う。

 

 

肺炎を起こしていた母は、とにかく苦しそうであった。

しかし見ている自分には何もしてあげられず、とっさに胸に手をおいて「楽にな~る」と繰り返していたら、本当に呼吸が楽になったのだ。

私も驚いたが、その後も何度もこれは効果を現した。

これは進化してその後「ラクナール」などと名付けさらに発展させたが、これはおまじないなんていう範疇ではない。医療行為と言いたくなるほどの効果を見せた。

最終的にはラクナールも効かなくなったが、かなりギリギリまで使えた。

信じること。

条件はあるのだろうか。私は更なるラクナールの発展を目指そうと思う。誰か具合の悪い人はいないか。

 

 

 

会話もままならず、かといって黙って見ているのももどかしく、ふと思いついて音楽をかけてみたのだ。

母はバッハが好きだった。

そこで母が昔よくピアノで弾いていた曲を流してみたが、苦しそうなまま、手でリズムを取り始めたので驚いた。

また、「主よ、人の望みの喜びよ」やパッヘルベルの「カノン」は、鎮静効果を見せることがあった。ラクナールに疲れると、こっちに転換した。

母は「ありがとう」と言った。

 

 

 

亡くなる3日ほど前に、突然「会えた。」と言い出した。

のんびりとした声で、本当に懐かしそうに。

誰に会えたの?と聞くと、友達、とだけ言った。

その友達が「向こう側」の人だったら嫌だったので、名前を何とか聞き出そうとしたが、それには答えなかった。

そこは「林」で、その後も人の出入りがあったようだ。

父も来たと言うので、必ずしも向こう側の人とは限らないようであった。

亡くなる前日には、「お母さん(おばあちゃん、と言ったかもしれない。母の母だ。)に会えた。」と、やはり静かな表情で言った。

後で調べて知ったが、これは「お迎え現象」といって、良くあることらしい。

私もきっと、また母に会える。そんな気がした。

 

 

モルヒネを使ってからは、ぐっすりと安らかに眠り込んでいた。

そのまま亡くなってしまったが、呼吸器を外し、死に化粧を施した母は驚くほど綺麗だった。

これも不思議なことなのだが、その母は、ずっと昔の若い頃の母そのものだったのだ。

懐かしかった。

あぁ、母のこんな頃があったと思い出した。

 

 

母はもういなくなってしまって、話をすることもできなくなってしまって、会えなくなってしまって、そんなことを考えるととても悲しくなってしまうので、淡々と「今」をやり過ごしている。

そのくせ、やらなくてはならない現実にはまだ向かい合えず、中途半端なところに留まっている。

夜になると悲しくなるので、いっぱいお酒を飲んで、グルグルしているうちに眠ってしまう。

 

 

 

いつまでもこんなところにいる訳にはいかないから、月曜日から頑張ろうと思う。