母は、入院してから10日で亡くなった。
私が会いに行ったのは入院した翌日だったが、すでにもう状態はかなり悪かった。
コミュニケーションを取るのも難しい中、不思議なことがいくつか起こったので、書き残しておきたい。
いつか同じような状況になった時に、少しは助けになってくれればと思う。
肺炎を起こしていた母は、とにかく苦しそうであった。
しかし見ている自分には何もしてあげられず、とっさに胸に手をおいて「楽にな~る」と繰り返していたら、本当に呼吸が楽になったのだ。
私も驚いたが、その後も何度もこれは効果を現した。
これは進化してその後「ラクナール」などと名付けさらに発展させたが、これはおまじないなんていう範疇ではない。医療行為と言いたくなるほどの効果を見せた。
最終的にはラクナールも効かなくなったが、かなりギリギリまで使えた。
信じること。
条件はあるのだろうか。私は更なるラクナールの発展を目指そうと思う。誰か具合の悪い人はいないか。
会話もままならず、かといって黙って見ているのももどかしく、ふと思いついて音楽をかけてみたのだ。
母はバッハが好きだった。
そこで母が昔よくピアノで弾いていた曲を流してみたが、苦しそうなまま、手でリズムを取り始めたので驚いた。
また、「主よ、人の望みの喜びよ」やパッヘルベルの「カノン」は、鎮静効果を見せることがあった。ラクナールに疲れると、こっちに転換した。
母は「ありがとう」と言った。
亡くなる3日ほど前に、突然「会えた。」と言い出した。
のんびりとした声で、本当に懐かしそうに。
誰に会えたの?と聞くと、友達、とだけ言った。
その友達が「向こう側」の人だったら嫌だったので、名前を何とか聞き出そうとしたが、それには答えなかった。
そこは「林」で、その後も人の出入りがあったようだ。
父も来たと言うので、必ずしも向こう側の人とは限らないようであった。
亡くなる前日には、「お母さん(おばあちゃん、と言ったかもしれない。母の母だ。)に会えた。」と、やはり静かな表情で言った。
後で調べて知ったが、これは「お迎え現象」といって、良くあることらしい。
私もきっと、また母に会える。そんな気がした。
モルヒネを使ってからは、ぐっすりと安らかに眠り込んでいた。
そのまま亡くなってしまったが、呼吸器を外し、死に化粧を施した母は驚くほど綺麗だった。
これも不思議なことなのだが、その母は、ずっと昔の若い頃の母そのものだったのだ。
懐かしかった。
あぁ、母のこんな頃があったと思い出した。
母はもういなくなってしまって、話をすることもできなくなってしまって、会えなくなってしまって、そんなことを考えるととても悲しくなってしまうので、淡々と「今」をやり過ごしている。
そのくせ、やらなくてはならない現実にはまだ向かい合えず、中途半端なところに留まっている。
夜になると悲しくなるので、いっぱいお酒を飲んで、グルグルしているうちに眠ってしまう。
いつまでもこんなところにいる訳にはいかないから、月曜日から頑張ろうと思う。