5月14日。母の命日であった。
献杯のために飲む、という習慣を断つため、昨日は土曜日にも関わらず、飲まずに過ごしたのだ。前日も飲んでいない。依存症脱却の栄えある第一歩である。心から自分たちを褒めてあげたい。
で、何をしていたかというと、ブログの引っ越し作業だ。地味な休日であった。
しかし酒を飲まないと、死者に思いを馳せる余裕がないものだ。
・・・ということに気付き、時々作業の手を止めて母のことを思い出してみたりする。
悲しくなるほど、悲しくない。時間というものは、残酷で、優しい。
母との時間は、記録のようなものとなって残っているばかりである。そこに悲しみや辛さは、もう伴っていない。
驚いたことに、父が命日を忘れていた。
仕事が忙しいこともあっただろうが、これもまた、時の流れなのだろう。
こうして死者は風化されていく。
今この世の中に、母のことを思い出す人はどれほどいるのか。
私達家族は、母の生の最後の証人になる。
私達が母を忘れてしまった時に、母は本当の意味でこの世を去るのだろう。
母の最後の命の火を、灯し続けたい。
命日やお盆という行事を大切にする。
そのためには飲んだ方がいいのかな、というのが結論だ(笑)酔った方が過去にのめり込めるように思う。
ドライに思い返すより、ドロドロに涙するカオス。そんな日があった方がいいように思う。
一年ぶりにバッハを聴いた。
主よ、人の望みの喜びよ。