昨夜もまたしこたま飲み、仕事を控えたダンナは先に寝たのだ。
残った私は、飲みながら後片付けをする。
バッハ。
母が絡まなければ、自ら聴くようなことはない曲。
今は、命日としっかり繋がってしまった。
バッハが流れる中、皿を洗いながら、思い出す。母が入院した時の話。
具合が悪いというので病院へ連れて行きたいのだが、タクシーはどこも出払っていて来てくれなかったという。
夜遅い時間になっていたらしく、病院へ行く手段がない。
とりあえず駅前のタクシー乗り場でタクシーを待ったが、一時間近くタクシーは現れなかったとのことだ。
車イスでぐったりした母を連れ、駅前で途方に暮れている父を思い浮かべる。
私なら、車で連れて行くことができただろう。連絡がなかったのは、絶縁状態だったからである。
結果的にその数時間が命取りになったとは考えにくいが、この時のことを考えると胸が締め付けられるような気持ちになる。
酔っていたこともあり、結局私はオイオイ泣いた。
昨日「悲しくはない」などと書いておきながら、今年も泣いているのである。
命日は、懺悔の日なのだ。
私は蓋をして逃げていただけなのかもしれない。