人間のクズ!

敵は自分の中にいる。ちょっとだけ抗ってみたくなった、ぽ子55歳。

母からの最後のプレゼント

家族の話ばかり続いていて申し訳ない。

心の中に残しておくと、先に進めなくなりそうなので。

父のこと。

父とはもう十数年、絶縁状態だったのだ。

母とは交流があったので実家で出くわすことが何度かあったが、それをきっかけにまたケンカすることもあった。

私にとってもはや父は父親などではなく、単なる憎悪の対象であった。

そんな父と、今回の母の一件で顔を合わせざるを得なくなってしまったのだ。

始めのうちは病院でかち合わないよう工夫していたが、危篤の知らせが入るとそれどころではなくなった。

私は父の前で「おかーさん!!おかーさん!!」と泣きわめき、不思議とそういう姿を見られてしまうとそこにいるのは紛れもなく同じ気持ちを共有している家族なのだと言う気持ちになった。

父と母との仲も、非常に悪かったはずである。

しかし私が会わなかった3年の間に、父は母を大切にしてくれていたようである。

性格的に、それは完璧ではなかったはずだ。むしろ短気な父は癇癪を何度も起こしただろうし、実際母は入院中にも「お父さんは怖い」と言っていた。

しかしそれらを込みにしても、母は大切にされていたと思う。父なりのやりかたで。

父は車椅子の母を、海外2回を含む旅行に連れ出した。

私は母と同居、無理なら施設を考えていたが、そうなっていたら到底叶わなかったことである。

もともと父は、世話好きだ。逆らわなければ、機嫌もいいのである。

歳を取って弱くなった母は、父にとって世話のしがいのある連れ合いになったのかもしれない。

母は最期には何度も父を呼び、「会いたい」と言う事もあった。

私の父への恨みやわだかまりは、不思議なほど自然に消滅した。

私は、母を大切にしてくれていたことが嬉しかった。母が幸せだったと思えたことに感謝したい。

主のいなくなった車椅子を引いて、ひとりの家に帰っていった父。

2月にマンションに引っ越したばかりであった。

ベランダに好きな花を置き、それを見ながらのんびりとふたりの時間を過ごしたかったと父は言った。

親が亡くなるのは、ある意味定めであり、運命だ。

もしかしたらこの世で一番悲しいことは、連れ合いを亡くすことなのかもしれない。

今父は、それに直面している。

協力して父を支えていこう。兄と言い合った。

母と引き換えに手に入れたものを、大切にしたい。