今日父の家に行くことになったよ、ハハハEE:AEB64
兄と3人で、会う。
考えてみると、家族水入らずというのは本当にどれぐらいぶりになるだろうか。
少なくとも私が父と絶縁していた十数年の間は、なかった。
それ以前にしても、誰かしらが父と衝突していて、欠けていたように思う。
そもそも父は誰かと衝突すると、「みんなで集まって食事をする」という方法で修復しようとしていたように思える。
衝突した本人には、直接的に声は掛けない。たいがい、私か母を通して招集された。
やがてこの方法も通じなくなり、「父がいるなら自分は行かない」というケースが出るようになった。
散々口汚く罵倒した挙句に時効を待って「みんなで食事」というのは、虫が良すぎる話である。
それでも今思うと、家族をひとつにしたいという父の気持ちの不器用な表れだったことも、理解できるような気がしないでもない。
間違いなく父は、家族を愛していた。だからこそ、自分の思い通りにならないこと、伝わらないことが我慢ならないのである。
相手には相手の想いがある、ということに気付いていない。
思いやりに欠如し、想像力がない。
それだけに、悪気もないのである。
そこが厄介なところだ。
この「食事会」という茶番も、最終的には母も兄も大人になってまた受け入れるようになっていたみたいだが、その後のことはもう私には分からない。
父抜きで、兄夫婦やうちの家族と一緒に集まることがあると、母は「お父さんが可哀想」と良く言ったものだ。
母も長い間冷戦状態に入っていたが、不思議とこうした団欒に父がいないことを気の毒がったものだ。
やっと水入らずで集まるその時には、もう母がいない。
一緒に居たかったことだろう。父も、母も。
今日これから、母の遺骨を囲んで食事会だ。
これが、私のしてきたことへの罰である。