宣伝みたいで書くのがちょっとためらわれたが、母の自伝である。
40も歳の離れた親である、その生き様には興味があり、自伝を書くことを勧めたのであった。
もちろん趣味の範囲であり、儲けどころか出費だけの自費出版である。
父が出版社に勤めていたのでその辺のコネもあったようだが。
前半は母の「原点」となる終戦前後の話を中心に書かれている。
私にはおよそ想像もつかない世界だが、天皇陛下を神と崇め、終戦とともにそれが崩れ去ってアメリカ万歳となったその衝撃が、母の原点であったようだ。
父親を早くに亡くし、3人の弟と妹を抱え、母親と力を合わせて生きていった昭和初期。
国も何も信じることができず、自分の力で家庭を守っていかなくてはならなくなるのだが、本人はただやりたいことをやっただけ、という感じで突き進んでいく。
英語を学び、宣教師の下で働き、ひょんなことからアフガニスタンにわたることになる母。
後半はこのアフガニスタンでの生活を日記形式で綴っている。
アフガニスタンは恐らく今もあまり変わっていないんじゃないかと思われるが、砂埃まみれのその土地の人間は、ルーズでずる賢いようでいて、実はとても暖かい。
「おいおい」な日常もやがて暖かく映ってくるようになり、読み終わる頃には私もいつか行きたいと強く思った。
長くなるが、印象的だったアフガンの情景を。
カブールの町外れ、遠く平野を囲む丘に続く砂原の一角にこの小さな石片の墓標が何百と並んでいる所がある。荒涼たる光景である。
しかし、この、いまだ大自然が人間のすべての偏見を支配している懐かしい国では、死んでいったもの達は残されたものの心や記憶の中に自然に残っている限りのみ存在するのであろう。
生きている人間がこの世に過ごした年数を覚えていることに意味がないのと同じように、土と化していくなきがらや、それを埋めた場所、墓標などを顧みることには意味がないのであろう。
土、それは彼らにとっておそらく私たちにとってとはかなり違った意味を持っているに違いない。
土に生まれ、土にまみれて、羊とともに埃の中の一生を終ったものが再び土に帰ってゆく、そのかすかな、しかし単純で力強い存在の証のようなこのおびただしい小さい石片は、そのような人々にふさわしいのかもしれない。
まだ文明に毒されていないこの国の人々が、岩や風や、そして砂埃にまみれた草などとともに生きたことを思えば、彼らが荒涼としたこの黄色い国土の下に眠る姿にはーーあるいはもう彼らはそこにもいないのかもしれないーー寂しさや、悲しさといったものはないのだろう。
母が愛したアフガニスタンである。
ところでこんな母が産んだ娘は、当時新人類と呼ばれた80年代の異星人のなかでも、とりわけできの悪い子であった。
衝突が多く、ついに分かり合うことなく家を出たが、こんな母親を誇らしく思う気持ちはなくもない。
むしろ、こんな娘ですまぬ、という気持ちだ(笑)
「アフガンの空」生野俊子
欲しい方、差し上げます^^