昨日は10時半には布団に入り、 眠気を我慢できなくなるほど本を読んでから寝た。
一生月曜日を棒に振って終わるのかと思うと情けなくなり、考えた結果である。
「そんだけ寝りゃ充分だ」というおまじないだ。
とにかく気持ちが負ける月曜だから、まじないから入る。
だからと言って、気持ちよく目が覚める訳ではない。
朝辛いのは皆平等だとは思うが、辛さは平等ではないんじゃないかと私は毎朝思う。
クソッ、何の罪滅ぼしだ、と腹を立てるが、布団の上で寝ていたエルが目を覚まして布団の中に入ってきた。
腕の中でクルンと丸くなってグーだ。
・・・という訳で、呆気なく寝坊。
慌ててリビングに下りていったら、ダンナはもうご飯を食べ終わっていた。
どうやら朝ご飯は「納豆ご飯」の模様。
先日買った高級納豆だ。
こうなると私の仕事はさしあたってなくなるが、そうだった、今日は娘ぶー子におにぎりを持たせなくてはならないのだった。
握るのが面倒だから弁当じゃダメなのかと聞くと、弁当箱がかさばる、ゴミを捨てて終わるような昼飯が望ましい、と言った。
おにぎり・・・。
弁当も苦手だが、おにぎりとなるとさらに難易度が上がる。
正直、私はおにぎりをまともに握る事ができない。
昔、握ろうとしてメシの熱さに悲鳴を上げてから及び腰なのだが、冷めたら冷めたで今度は「妖怪ベトメシ野郎」となって手にベトベト貼りついてくるからたまらない。
こういう事を言うと料理の上手い人は決まって軽蔑したような反応をするが、魚を触れないから調理しないの、という人と同じ人種に分けられてしまうのだろう。
じゃあおにぎりはその後全く握ってないのかというと、そんな事はない。
プラスチックの三角のおにぎり型を買って解決した。
それ以前はラップで握るという裏技を教えてもらったのでそれでやっていた事もあるが、最近掲示板の「ラップでおにぎりを握るの、どう思う?」のトピでこれまたコテンパンにけなされていた。
愛情がこもってない、というのが主な理由だったが、確かにマグマのように熱いメシを三角に握るなんて、愛なしではできまい。
私はキリストの踏み絵を踏むような人間なのだ、ラップにぎりでいい。
という事で、ラップでおにぎりを握らなくてはならない朝なのであった。
おにぎり型は、あまりにも使わないので捨ててしまっていた。
しかし「握り飯プリーズ」と言われたのは昨日の夜で、具が何もない。
握るのも面倒だったのでそこで弁当を提案したのだったが、どうしても弁当箱を持って行くのが嫌だ、塩にぎりでいい、と泣きつかれた。
塩にぎり。
さすがに私だって塩にぎりなんていうものは作った事がない。
そんなものを持たすぐらいなら、何も持たせない。
最後のプライドである。
「じゃあ、しば漬け入れておいて。」
ぶー子は自腹で買ったしば漬けを入れてくれ、と言ったのでそれしかないかと思っていたが、今朝になって「あのへん」をガサゴソ掘り返してみたら、賞味期限の切れたふりかけが出てきた。
「あのへん」とは、のりだとかカレーのルーだとか乾麺だとかお茶漬けだとかが適当にぶっ込んである収納棚のことであり、そもそもはちゃんと整理されていたのだが、もうグチャグチャで訳の分からなくなっているパンドラの箱のことである。
ついでに下の方から古い食材がどんどん見つかったが、見たくなかったさようなら。バン!と扉を閉じる。
おにぎりは3分ほどで3つできた。
何だ、簡単じゃないか。
しかし、なんで弁当より面倒に感じるのか?
楽しくないのである。
「ここに緑を入れて」だとか、「おっ、卵焼き入れたらちょうど良かった」だとか、そこには何らクリエイティブな要素やサプライズがない。
かと言って今は、クリエイトするのが面倒で弁当を作らないのである。
塩にぎり以下である。
かくして弁当を作って欲しいというダンナは今朝も手ぶらで出勤し、弁当箱を嫌がるぶー子がおにぎりを3つ持っていった。
何とかしたいという気持ちはあるが、何ともならないような気がしている。