6時10分、目覚ましが鳴る。
ダンナが起きるのは6時半だが、娘ぶー子が早出なのである。
早出、というと突発的に早く出ることになったような響きだが、大学の授業が1時間目からあると、この時間に起きることになる。
前年度は早起きをしたくないために、極力遅い時間の授業をとっていたぶー子だったので、この時間に起きる方が少なかったのだ。
なので基本は8時以降、時々早出、というスタンスであった。
ところが新学期が始まってから時間割がイレギュラーになり、早出が続いているこの頃である。
たかが30分だが、朝の30分は夜の1時間に匹敵する。
5分でも10分でも布団に入っていたい、こうして今日布団から出たのは6時15分であった。
急いで階段を下りると、「今日朝ご飯いらないッ!!」と言うぶー子の声。
食べる間も惜しんで寝ていたいぶー子なのである。似たもの同士だ。
それを聞いて私は寝室に戻り、目覚ましを5分後にかけて再び布団にもぐる。
寝れはしないが、起きたくないのである、寝るしかない。
布団で無駄な5分を過ごすと、今度こそキッチンへ向かう。ダンナの分だ。
朝ご飯、何だったっけ?
思い出せないので、あるもので作ることになる。
目玉焼きにハム。インスタントのスープにサラダ。
ご飯をよそおうとして思い出した、ぶー子に弁当を作らなくちゃならないんだった。
「ぶー子、何時に出るの?」
「6時55分。」
ギョギョ、あともう20分しかない。
ダンナの朝ご飯のゴチャゴチャしたものを出したまま、並行して弁当作りとなる。
弁当たって、焼くだけの味つき肉とサラダと冷凍の緑だ。
それでも同時進行となると結構キツい。
しかもどちらも時間が迫っている。
何とか両方仕上げたが、レンジを開けると惣菜パンが出てきた。
そうだった、朝ご飯に買ってあったのだ。
これが二人分残ると困った事になる。
私は酢豚の残りをご飯で食べたかったのだ。
いくら美味しいパンだったとしても、迷惑である。
私はダイニングに行き、ダンナの白いご飯を下げて一方的にパンを置いていった。
まぁパンにも合うおかずだったのが救いだが、一瞬にして主食が和食から洋食に変わった事にダンナは呆然としていた。
ぶー子にはすでに弁当があったが、「お友達と食べなさい」と幼稚園児に言うように託したのだった。
7時半になると家には誰もいなくなり、静かな時間が訪れた。
うん、二人一緒に片付くのはいいね。
これまで微妙な時間差があり、なかなかのんびりできなかったのだ。
しかしだ、これから毎朝こんな感じになるのだろうか?
私がぶー子の弁当作りをサボッていた事は先日書いたが、去年の今頃私は「これが娘にしてやれる最後の事になるかもしれないから」と真面目に弁当を作る決心をしていた。
そう、真面目に。
それまでは冷凍物や残り物の味気ない弁当で、晩御飯の時に「これ、激しく明日の弁当に入る予感」と良く言われたものだ。
そしてその予感の的中率は、非常に高かった。
しかしぶー子は大学に入り、ますます私の手から離れていくのである。
もう弁当ぐらいしか手をかけられることがないんじゃないか、と思ったのである。
そこでちゃんとした手作り弁当を、いや、人がうらやむようなカフェ飯のようなお洒落弁当を作っちゃる、と決心したのだった。
しかし案の定それは長くは続かなかった。
言い訳がましいが、急に「明日はいらない」ということが続いたので楽になってしまい、面倒になってしまったのである。
ところが先日、電車の中で倒れたと言う。
原因は分からないが、食生活が偏っていた事は簡単に察しがついた。
やはりこれは弁当を作らないとダメだ。
こちらから「これ」と出さないとロクな選択をしないのである、若い娘は。
・・・と、言う事で、弁当作りが再開した。
したが、また手抜き弁当である。
料理は嫌いじゃないが、考える余裕も手をかける余裕もないのだ。
それでもないよりはマシなはずだ、これで切り抜けていこうと思ったのだが、そんな私に地獄からニュースが届けられた。
ダンナの会社の移転に伴い、食堂がなくなるというニュースである。
まぁどこぞで勝手に食べてもらうこともできるが、妙なプライドと憐れみがないまぜになって、弁当を作らなきゃならないような気持ちになっている。
しかしどうやって・・・。
アホくさい話だが、私は晩御飯の献立ですら、料理本とにらめっこして長い時間をかけて考えているのだ。
ここに弁当まで考えるのは、正直苦痛である。
しかしダンナの分となると、10代の娘っこのような華奢な弁当では通用しないだろう。
手間も金もかかるのは必至だ。
金・・・?
そう言えばダンナは、会社から食事の補助がいくらか出ると思う、と言っていた。
ダンナは会社から食事代をもらい、私の食費は上がった上に時間と労力をもっていかれるのはおかしくないか??
ダンナが、汁物が入り保温のきく弁当箱を見ていた姿を思い出した(汗)