先日、心に残る先生のことを書いたが、今日は逆の意味で心に残っているもうひとりの先生のことを書きたい。
小学校5、6年の時の担任S。
当時30代ぐらいじゃなかったかと思う。
若くてエネルギーのある先生で、評判もとても良かった。
違うクラスの時に見ていて、あのクラスは楽しそうだなぁと私も羨ましく思ったものである。
それが、小学校最後の担任になったのだ。
私はちょっと嬉しかった。
Sは、学級通信を毎日出した。
生徒からカットのイラストを募集し、それを通信に載せたり。
授業にも工夫を凝らし、プリントをどんどん配布する、目標を立てて貼りだす、達成度を表にして競わせる。
学校に一泊するというイベントも果たし、それは活気溢れる学校生活だったのだ。・・・一見。
しかし毎日一緒に過ごしているうちに、Sのまた違う一面を見るようになった。
Sは良く、授業を潰して説教をした。
きっかけは生徒側にあることが多かったが、例えば朝の集会に行く時に、ゲタバコの上に荷物を置いていく生徒がいる。
集会が終わって授業が始まる前に、その生徒らを立たせる。そこから一時間。
きっかけが分からない日もあった。
黒板に「三無主義」と書き、「お前らはこれだ!」と延々垂れる。
ある時は、Sが教室に入るとSの机が散らかっていて、「誰がやった!」となった。
Sの説教は長い。こういう時は見せしめのように、ひとりを立たせてみんなの前で叱るのだ。「自分です」などと言い出せる人はいない。
すると全員机に顔を伏せさせ、犯人は手を挙げろ、と言った。
誰か手を挙げたかは分からない。
Sはそのあと作文用紙を配り、この朝の教室の様子を書け、と言った。
今思えばこれも犯人捜しの一環だったのだろうが、私は作文だと思い、結構ドラマティックに描いた覚えがある。
また、学校に来るときに車で事故を起こし、「いかに相手が悪いのか」ということを、黒板を使って図解で訴えることもあった。
こういうことで、良く授業が潰れたものだ。
「見せしめ説教」は、私もやられたことがある。
その中にどうしても納得がいかないことがあったけど、怖くて言い返せない。
私は後でそれを連絡帳に書いて、Sに渡した。
Sは長文の返事を書いてよこし、なぜか「お母さんに見せるように」と言った。
Sの返事は、「自分はこうである。だからあなたは間違っている」というものであった。
私はそれを、破って捨てた。
自分目線、子供目線のことだ。今改めて同じ場面になったら、Sの言い分も理解できるところがあるかもしれない。
それでも私は当時12歳であり、Sの生徒であった。
怒り、不満、理不尽な思い、そういったものに蓋をして、漠然とモヤモヤした日々を送っていた。
卒業万歳。
そして私の反発はその後、開花するのであった。