すぐに行動しないから、いつも面倒なことになるのである。
その面倒は、もう長い間そこに居座っていた。
どうするべきかも決めてあり、あとは動くだけだったのだ。
面倒で後回しにしているうちに、そこにあることに慣れてしまった。
そうなるともう「面倒」などという気持ちすら、起きてこない。
そしてある時、何かのきっかけで思い出したときには、往々にしてもう遅いのであった・・・。
アベノマスクよ・・・・・・。
私はあまり政府の批判などはしないようにしているが、これはもうハッキリ言う。ヒドイ。
たくさんのお金をかけて、国民のことを思った結果がこれなのか。
大げさでなく、私はこのマスクをしている人を見たことがない。安部元総理を除いて。
あれは滑稽を通り越して、哀れですらあった。
あの頃、我が家でもマスクは不足していたのだ。どうしてよりによってあんなマスクをよこしたのか。
何なら一枚でも良かったから、まともなマスクを作って欲しかったものである。
そんなマスクだ、どこの家でも持て余し、今度はそれを回収します、という人が出てきた。買いたくても買えなくて困っている人へ、という善意。一度バラして子供用に作り直す、というお母さん。
あぁ、どんな物にも拾う神があってくれれば、この家ももっと片付くことだろう。
で、私もそんなどこかに寄付するつもりだったのである。その場所も決まっていた。
封筒に入れたり住所を書いたり切手を貼ったり郵便局に行ったりするのはハードルが高かったので、比較的近所の施設に直接届けるつもりであった。
つもりであった、というのは、結局行かなかったからである。それはまだここにある。
これが片づけをしていて出てきたときには、心底ウンザリした。見たくなかった。見てはいけないものを見てしまった。
今さら・・・、と思いながらも件の施設のHPを調べてみたが、もうどこにもマスクのことは載っていなかった。
他に回収先はないかとネット検索もしたが、見つけることができなかったのである。
困った。
困った。
私は物を捨てられない性分である。このように未使用だったりすればなおさら。
布のマスクである。何というか暖かみがあり、むげにしにくいものだ。安部の哀れも思い出され、何とも哀愁漂う一品。
どうにかならないものか。
私が困り果てていると、見かねてダンナが「会社でしようかな?」と言い出した。
そんなの、いい笑いものである。知ってる人は突っ込んでくれるかもしれないが、いや、知っている人ほど気を使って微妙な立場に追い込まれるかもしれないが、全然関わりのない人が見たらどう思うだろうか。
今頃アベノマスクをしているのである。私だったら周りの人に言う。同じ部署の人に言うだろうし、家に帰って家族にも言うかもしれない。
そのうち会社でちょっと話題の人になってしまうかもしれない。本人だけが気づかないうちに。
たぶんダンナは、全然気にしないだろう。しかし家族として想像するに、辛い状況である。国会でのマスク安部と、大して変わらん状況だろうが。
そんな事態は絶対に避けなくてはならない。私はこのマスクを、自分で使うことにした。
いいことを思いついたのだ。
私はいつも、寝る時にマスクをしている。口の乾燥防止だ。
このマスクをアベノマスクにしたのである。
早速使ってみたが、私はちょっと残念な気持ちになった。
柔らかいガーゼのマスクはしっかりとした厚みもあり、フンワリ優しい肌触りであった。
多くの人が、この感触を知らずして手放したことだろう。
もう少しサイズが大きかったら、もう少しスタイリッシュだったら。
外にさえ出なければ、なかなかいいマスクである。