連日、コロナでの死亡者の話が報道されている。
過去に、こんなことはなかった。もういつ身近に起こっても、おかしなことではない。
不思議と、死ぬことはそんなに怖くはない。
死ぬ際の苦痛は怖いが、死後のことは何にも分からないのである。考えても仕方がないということだ。なるようにしかならない。
この世との別れは残念だ。しかしそんな気持ちも死によって無になるか、新たな世界が生まれて忘れてしまうか、それとも魂に戻ることでこの理不尽な別れも辻褄が合うようにできているかもしれない。
いずれにしろ、そう悪い結果にはならないんじゃないか。
そんな風に思っている。
しかし、コロナに感染して死ぬと誰も火葬に立ち会えないという話を聞いてから、自分がそうなった時のことを考えるようになった。
死んでしまえばもうこの世のことになど感知はできまいが、誰にも見送られることもなくこの世の姿を無くすことを考えたら、複雑な気持ちになる。
私が怖いのは、自分の「消滅」だ。
棺桶の中に、自分が入っている。51年間を共にした、一番親しい存在である。
この体が、正体なき魂を具現化していたのだ。唯一無二の「私」として。
そう思うと、とてつもなくこの体が愛おしくなった。
それが、消えようとしているのである。
もう誰の目の前にも現れることもなく、誰に語りかけることもなく、そこに横たわることすらない。
消えるのだ。
炎が私を、燃やし尽くすのだ。
この世から私は消滅する。
何も残さなかった人生だったが、どうか私のことを忘れないで欲しい。
遺書みたいになった。
でも、伝えられて良かった。
仏壇の存在意義を知ったような気がする。