人間のクズ!

敵は自分の中にいる。ちょっとだけ抗ってみたくなった、ぽ子55歳。

時間を取り戻す。

結局、いつもの時間になってしまった。

またダンナが早出週間に入り、私も朝活週間で頑張るつもりでいたのだ。

ところが、いつも「ハッ、もうこんな時間。」ということになってしまう。

子供の頃は親にグズ、ノロマと良く罵られたものだが、それはこの歳になっても変わっていないらしい。

罵る人がいないだけ精神的には楽だとは言え、あの頃の罵倒がさほど私にダメージをもたらした記憶はない。

サッサとしなさい、と怒られても、ピンと来ないのである。なのでスピードは変わらず、母はますます怒る。

本当に、グズであった。

グズであることの自覚のない、グズであった。

そして、グズである。今も、グズなのである。

変な話だが、仕事となると、私は他人のグズが許せなかった。

効率的に、手際よく、仕事を回す。それに快感すら感じたものだ。

人間に生まれて良かった。

考えて、動き、結果を出す。それに評価がつくというおまけつき。

アイデア、改善。ただボーッと受け身でいるよりも、よっぽどその方が楽しめるじゃないか。

私がやっていたのは主に単純な作業だったが、それでもその中で、能動的にできることは探し出せた。

仕事は嫌いじゃなかった。

嫌いなのは、「暇」である。

ところが、仕事を辞めてから私はぶったるんだ。

協調性も必要ない、期限もない、評価もない。

家事だって、私は嫌いではないのだ。それこそ、アイデア、改善、効率化の宝庫である。

ところが、義務感がなくなったとたんにグズになってしまうのだった。

自覚はない。

なのでいつも、「ハッ、もうこんな時間。」となってしまう。

仕事を辞めたのは一時的なことで、家の中が片付いたら私はまだ働きに出るつもりでいた。

それなのに、一向に部屋は片付かない。

時間はどこへ流れて行くのか。

注意力が散漫なのである。

気がつくと、ボーッとしている。

いつか行きたい場所のこと、ゲームのこと、懐かしい思い出、脱線のネタは限りなくある。私は腕を組んで、遠い世界へ行く。

ふと、猫を見る。

可愛い。

なんでこんなに猫って可愛いんだろう。見惚れている。

リモコンの手アカが気になる。おもむろに雑巾と洗剤を持って来て磨き始める。こういう時の集中力は凄い。脱線の集中力。リモコンはピッカピカになる。

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いとも簡単に、私は脱線する。

子供の頃からそうであった。特に、勉強しなくちゃならない場面での脱線は顕著であった。授業中に空想していたら、いきなり先生に「ぽ子さん、大丈夫ですか?」と言われたこともあった。

心ここにあらず。

私はここに生きていながら、ここにいないのである。

望んで脱線しているつもりはない。まるで誰かに魂を持って行かれているような感覚だ。

「このままだとこの家は、一生片付かないよ。」娘ぶー子が不吉な予言をした。

このままだとこの家は、一生片付かない。

それでは困るので、いま一度、気合を入れ直したい。

私はこの職場に就職したのだ。

今後、上司であるダンナに、その日やったことを報告する。

必要なのは、緊張感と、対価だ。対価は何も、報酬じゃなくてもいい。

欲しいのは「良くやった」という労い、ボーナスは「凄いね」という褒め言葉である。

家事にこのような対価を求めるのはあまりにも幼稚だが、私は単純なので、褒められようと頑張るだろう。

果たしてこれで、私の放浪癖が治るだろうか。

これもまた「アイデア」だ。

まずはやってみる。