結局、いつもの時間になってしまった。
またダンナが早出週間に入り、私も朝活週間で頑張るつもりでいたのだ。
ところが、いつも「ハッ、もうこんな時間。」ということになってしまう。
子供の頃は親にグズ、ノロマと良く罵られたものだが、それはこの歳になっても変わっていないらしい。
罵る人がいないだけ精神的には楽だとは言え、あの頃の罵倒がさほど私にダメージをもたらした記憶はない。
サッサとしなさい、と怒られても、ピンと来ないのである。なのでスピードは変わらず、母はますます怒る。
本当に、グズであった。
グズであることの自覚のない、グズであった。
そして、グズである。今も、グズなのである。
変な話だが、仕事となると、私は他人のグズが許せなかった。
効率的に、手際よく、仕事を回す。それに快感すら感じたものだ。
人間に生まれて良かった。
考えて、動き、結果を出す。それに評価がつくというおまけつき。
アイデア、改善。ただボーッと受け身でいるよりも、よっぽどその方が楽しめるじゃないか。
私がやっていたのは主に単純な作業だったが、それでもその中で、能動的にできることは探し出せた。
仕事は嫌いじゃなかった。
嫌いなのは、「暇」である。
ところが、仕事を辞めてから私はぶったるんだ。
協調性も必要ない、期限もない、評価もない。
家事だって、私は嫌いではないのだ。それこそ、アイデア、改善、効率化の宝庫である。
ところが、義務感がなくなったとたんにグズになってしまうのだった。
自覚はない。
なのでいつも、「ハッ、もうこんな時間。」となってしまう。
仕事を辞めたのは一時的なことで、家の中が片付いたら私はまだ働きに出るつもりでいた。
それなのに、一向に部屋は片付かない。
時間はどこへ流れて行くのか。
注意力が散漫なのである。
気がつくと、ボーッとしている。
いつか行きたい場所のこと、ゲームのこと、懐かしい思い出、脱線のネタは限りなくある。私は腕を組んで、遠い世界へ行く。
ふと、猫を見る。
可愛い。
なんでこんなに猫って可愛いんだろう。見惚れている。
リモコンの手アカが気になる。おもむろに雑巾と洗剤を持って来て磨き始める。こういう時の集中力は凄い。脱線の集中力。リモコンはピッカピカになる。
Facebookのチェック。あなたへのおすすめ。
ブログの下書き。過去記事への旅。
ニュース。もとい、ゴシップ。
いとも簡単に、私は脱線する。
子供の頃からそうであった。特に、勉強しなくちゃならない場面での脱線は顕著であった。授業中に空想していたら、いきなり先生に「ぽ子さん、大丈夫ですか?」と言われたこともあった。
心ここにあらず。
私はここに生きていながら、ここにいないのである。
望んで脱線しているつもりはない。まるで誰かに魂を持って行かれているような感覚だ。
「このままだとこの家は、一生片付かないよ。」娘ぶー子が不吉な予言をした。
このままだとこの家は、一生片付かない。
それでは困るので、いま一度、気合を入れ直したい。
私はこの職場に就職したのだ。
今後、上司であるダンナに、その日やったことを報告する。
必要なのは、緊張感と、対価だ。対価は何も、報酬じゃなくてもいい。
欲しいのは「良くやった」という労い、ボーナスは「凄いね」という褒め言葉である。
家事にこのような対価を求めるのはあまりにも幼稚だが、私は単純なので、褒められようと頑張るだろう。
果たしてこれで、私の放浪癖が治るだろうか。
これもまた「アイデア」だ。
まずはやってみる。