人間のクズ!

敵は自分の中にいる。ちょっとだけ抗ってみたくなった、ぽ子55歳。

時間を捨てる美徳

今年の健診は火曜日だったので、前日の節制がラクだったのだ。検査前日が日曜日だったりすると酒も飲めん、夜遅くの食事もできんで、結構大変なのである。そしてこのところ、月曜日の健診率が高くなっていたのだ。今年は火曜日で助かった。飲まずに早く眠る。

毎度受付時間は9時受付、終了は11時となっているが、これは9時に来いということなのか9時から11時の間に来いということなのか、いつも迷う。遅い程混む傾向にあるので、今回は9時過ぎに雨が上がったところで家を出た。

ビックリするぐらいに空いていた。いつもなら受付の時点で10人ほど並んでいるのが、待っていたのはたったのふたり。各検査の待ちも、それぞれ2、3人程度であった。これなら早く終わりそうである。

私はいつも、待ち時間に本を読んでいる。検査のたびに閉じたりメガネをしまったりする面倒はあるが、暇よりマシだ。本も読みたい。

ところがいつも、本など読んでいる人は皆無である。スマホいじりがひとりふたりいるかどうかというところで、みんな何もせずビシッと座っているのである。

病院の待合室なんかでも、同じだ。なのでちょっと恥ずかしい。

待ち時間に本を読むのは、みっともないことなのか?それともみんなうっかり持ってくるのを忘れたか、ここに座って初めて「しまった、本かSwitchかあやとりなどを持ってくるべきだった」と気づくのか?

一番恐ろしい答えは、「これこそが日本人の美徳」である。待つと言ったら待つ。背筋を伸ばしてひたすら待つ。それが我慢できないのは子供かぽ子である。

そのような意味のないモラルは未だそこここに見られるが、それが美徳であることも確かにあろう。私もそういった日本人らしさは嫌いじゃない。

しかしケースバイケースだ。私は暇が耐え難い。時間も惜しい。寝る前の読書は、ほんの2、3ページで撃沈してしまうのである。ここで読めるなら読めるったけ読んでしまいたい。

できるならバスやレジの待ち時間だって読みたいぐらいである。電車の待ち時間は読んでいる。

こういうのはやっぱり恥ずかしいことなのか?こうも揃って無言でただ座っている人達を見ると、圧倒されて自分の価値観がブレてくる。読んでいた本は「グズほどなぜか忙しい」という、グズを脱却するための自己啓発的なものだったが、もっと他に脱却すべきものがあるのではないか??

時々自分は、この社会と上手く馴染めていないように感じることがある。

グズも然りだが、普通に生きるということが、人と比べてズレているように思う。

まぁこの本を読み終わった暁にはちっとはグズが矯正されているはずだが、待ち時間に本を読むのはやめないと思う。とっとと読んで、とっととグズの方を脱却するよ。