つくづく、片付けが苦手だ。
嫌いな訳ではない。色々考えて整理されていくのは楽しいし、始めれば夢中になってしまう。
しかし「好き」と「できる」は違うのである。
検査した訳ではないのであくまで想像ではあるのだが、恐らく私は高確率でADHDだ。検査をしないのは、できない事への免罪符にしかならないと思うからだ。分かったところでどうなのか。治療で治るものではない。
だったらもう自分はADHDであると仮定して、ひとつずつ対処していった方が早い。
片付けが苦手なのも、ADHDの特徴だ。
象徴的なのは冷蔵庫、バッグの中、広く見れば部屋の中、家の中、庭もそうだ。
「見えなくなる」ということにめっぽう弱い。後で、と思うものは忘れ果てる。
ほとほとウンザリするが、時間の管理も苦手だ。集中力もない。物を良く壊し、良く無くす。
そういった短所がケタ外れなのである。
努力はしている。
しかしあっちができればこっちを忘れる、集中すれは今度は過集中で時間の配分ができない。
幸いなのは、ほどほどバカで鈍いことだ。焦ることがないのでストレスもない。
むかし母が学校へ提出する書類に、「長所:のんびりしている」「短所:グズ」と書いたことがあったが、その通りだと思う。
あれこれ頭の中はいつもとっ散らかっていて、若い頃はそれに抗えなかった。その場その場で精一杯だったのである。
しかしADHDという言葉を知り、この生きづらさの原因が明確になった気がした。
そして今ではその対処法が、ネットの記事や本になっている時代となった。
対処、それこそが、ADHDの治療だ。
特性を知り、それに対処していく。方法はあった。
大事なのは、「見える化」。
時間の管理は、一日の始まりにその日のスケジュールを立てること。スケジュール帳を買い、長期のスケジュールは決まった時点でそこに書き込むこと。思いついたこともそこへどんどん書き込んでいく。
やるべきことも、急ぐことと急がないことに分けてアプリのチェックリストに書き込んでいく。
やりたいことも、同じだ。行きたいところ、見たい映画、読みたい本。
とにかくポッポポッポと思いついて散かる頭の中を、常に空になるようにする。
調味料や消耗品の在庫チェックリストも作った。月に一度確認して、買い出しておく。
出掛ける時の荷物リストも作ったが、ダイソーで買ったバッグインバッグが逸品で、活躍している。
小学生レベルだが、我ながらいい案だと思っている。同志にはお勧めしたいことばかりだ。
しかしこれで解決したかと言えば、実はそうでもない。
スケジュールやリストが溢れているのである(笑)
頭を空にした分、リストが消化しきれずにどんどん溜まっている状態だ。
それでも保存されているという安心感はある。いつかやってやるぜ、という気持ちは常にあるのだ。
私は戦う。この大量のスケジュールを、チェックリストを、いつか空にしてみせる。
・・・と思っていたのに、ここ数ヶ月だらしなく過ごしてしまったのだ。
こうしてルーティンが戻り、我に返ったところである。
リハビリと称してまだ一日のスケジュールを立てていないが、早速ブログの下書きに時間を食っている。何しろ制限時間がないと脱線甚だしく、なかなか終わらないのである。リハビリは今日までにする。
ところで、どうしても対処法が見つからないものがあるのだ。
冷蔵庫。
扉が閉まってしまえば見えなくなるし、開けても死角が多過ぎる。
まじでカオスなんですけど。