人間のクズ!

敵は自分の中にいる。ちょっとだけ抗ってみたくなった、ぽ子55歳。

性質に抗う

物事を長く続けるということは、難しいことだ。

人間には、「飽きる」という性質がある。

言い方が悪ければ、「慣れる」だ。

これはこれで生きていくうえで必要な性質だと思う。

辛いことや耐えがたいことなど、いつまでもその時の思いのまま蓄積されていったら、たまったものではない。

10年前に死んだ子猫達のことを、私は今、冷静に思い出すことができる。

忘れてしまったのでも、何も感じない訳でもない。形を変えたのである。「思い出」という形に。

そんな「性質」に感謝だ。

しかしだよ、この飽きっぷりはどうだ。

なんとか自分を奮い立たせ、新たに決意し、何かと工夫しないといとも簡単に忘れてしまう。

私は過去に何度、決意しただろうか。何度、挑戦しただろうか。

どれも続けられていたら、何かしら形にはなっていただろう。

例外的に、ゲームとブログだけは続いているが、それはそれが私に快楽や喜びをもたらすからである。

努力が必要なものほど、続かないのが常だ。

昨日私は、久しぶりにピアノを弾いた。

厳密に言うと、弾くなら時々弾いてはいる。弾かざるを得ない場合だ。バンドの練習。

しかし昨日のピアノは、それとは違うものである。

純粋なピアノの練習だ。

ピアノを習っていたのは中学2年までで、その後は好きに弾いていたが、楽しかったので毎日のように弾いていた。

弾かなくなったのは、子供が生まれてからだ。

生活がある。それどころではなくなった。

それでも家に電子ピアノを置いて、気まぐれに弾いてはいた。

しかしやがて、それもなくなっていく。

私に快楽をもたらしていたピアノは、もはや努力なしには弾けないようになってしまったのである。

今の家に来てから2度ほど、コンスタントに練習しようと決心した時があった。

練習曲を弾き、課題曲を決め、ある程度弾けるようになったらダンナに聴いてもらう。

その過去2回がそれぞれどれぐらいの期間続いたのかはもはや思い出せないが、半年以上は続かなかったんじゃないかと思う。

弾いている間は楽しいのに、「毎日」という義務感が重くなる。

一度離れていくと、失くしたものが惜しくなる。

「あんなに頑張ったのに」という思いが、またやり直しになる努力を阻む。

今となってはピアノなど、過去の話になってしまった。

しかしやはり、好きなのである。忘れられない。

決意しようと思うと、重い。

サクッとやろうとするのは軽い。

どっちつかずのまま日常に流されていたが、ついに昨日、ピアノに向かったのである。

決心などした訳ではない。ダンナが早く帰って来るようになったので、夜、時間ができたのである。

時間など、あればあっただけ私はゲームにつぎ込んでしまう。

ならばもうちょっと、実りのあるものに配分しようと思った訳だ。

現実は厳しかった。

まずは「ハノン」という、指の訓練的な練習曲を弾いたが、指がもつれる上にとても疲れた。

こんなに酷いのは、初めてである。ショック。

人間は、薬指と小指の力が弱い。

そこが上手く動かず、音が揃わないのである。

それを揃うようにする訓練の曲だ。これを毎日弾いていれば、少しずつ私の指も強く、しなやかになっていくことだろう。

その後に、ものすご~~~~~~~く時間をかけて、パッヘルベルのカノンを弾いた。

あまりにスロウで何の曲か分からないぐらいだ。

それでも楽しかった。

クラシックの旋律の美しさ。

表現の自由度。

ということで、3度目の決意をする(笑)

早速もう時間がない。なので、この辺でEE:AE5A7