こうして日記は長いブランクに入るのだが、その間に私はダンナと出会い、バンドを始めていた。
というか、逆。
バンドを始めたことにより、ダンナと出会ったのだ。
共通の友達の紹介でメンバーに入ったダンナの第一印象は、真面目そうで大人しい人。
自分との接点など何一つ見い出せず、当時はまさかこの人と結婚することになるなどとは思いもしなかった(笑)
最初はビートルズのコピーバンド、私はキーボードで入ったのだ。
これまでにも数回ライブはやったことがあったが、どれもお遊びみたいなもので、まともなライブはこれが初めてと言いたいところである。
場所はどこだっただろうか。
高円寺のロサンゼルスクラブ??だったかな??
メドレーにしたセクシーセディのイントロをヘロヘロに間違えて演奏が中断。
もう悔しくて情けなくて恥ずかしくて、どえれー落ち込んだのを覚えている。
このバンドは結局この1回で終わってしまったが、その後ゴーバンズや女性アイドル系のバンドで声を掛けられ、そこにまたダンナがいたと(笑)
ダンナと良く話すようになったのは、この頃からであった。
話すようになると気が合い、その後サザンのコピバンなどと続いて行った。
日記の長いブランクが明けると、私は妊娠して主婦となっていた(笑)
つわりと貧血、眠気が酷く、時々実家に行くぐらいで、病人のように暮らしていた。
タバコもお酒も止めた。
映画、バカヤロー2、二代目はクリスチャン、ダイ・ハード、復活の日。
朝のテレビ??G.M.J??グッドモーニングジャパンの略かな??
いとこがバイクで事故った。
当時17歳のバリバリヤンキーだったが、横転したバイクが炎上し、重体に。
一命はとりとめたものの、私にはショックだった。
既に亡くなっていたおじ、祖父母はどこに行っちゃったのか。そんなことばかり考えた。
今いる大切な人を亡くすのが怖い。
「誰もどこにも行かないで欲しい。時間が止まればいいのに。」
この頃、FLYING KIDSの「幸せであるように」を悲しい気持ちで良く聴いていた記憶がある。
ホームシックになっていた。