酔うと思考にとめどもなくなり、思うがままに流されていく。イモヅル式にだ、今回辿り着いたのは、古いライブ動画であった。
そもそもは、カラオケでレベッカを歌ったところからである。
翌日家で飲んだ時に、録画してあったレベッカの特番を見た。
そして思い出したのである。ダンナのレベッカのコピバン。まだ10代の頃で、ビデオテープに撮ってあったものをDVDに移したものだ。
顔が判別できないほど荒い画像だったが、音は比較的綺麗に撮れていた。
悔しいことに、結構上手かった。
だいたいこういう若い頃のバンドなんて地雷のはずである。私の方はカセットで残っているものがあるが、もうネタにしかならないようなやつだ。酷いを通り越して、笑いが止まらないようなやつ。
ところでレベッカなら私も10代の頃に一度ライブで歌った頃があるが、客席から「いよっ、ねーちゃん!」などと茶化されていて散々であった。
高いキーに独特な跳ねるような歌い方。「やってみたい」で出来るほど簡単なものではない。若さとは、無謀で愚かなものである。それを繰り返して大人になっていくのだろうが、記録として残るのはキツい。黒歴史だ。
ところが何だ、ダンナのこのライブは。
可愛い衣装を着た女の子は、NOKKOのように踊り、NOKKOのように歌っていた。
このようなパフォーマンスも歌も、とうとう最後まで私が到達できなかったものである。
そしてこの動画の後には、私もダンナと一緒にやったバンドのライブも収められていた。黒歴史だ(笑)
私はキーボードだったが、ビッと背筋を伸ばして手だけを動かし、全くの地蔵である。弾かない間は直立不動で、最初そこに自分がいることに気が付かなかったぐらいだ。
もちろん笑った。酷いを通り越して、笑うしかないのである。
つくづくパフォーマーとしての資質に乏しい人間だ。56歳となったライブの時にも、家でMCや動きの練習を何度もしていた。一般家庭のリビングで、「今日はありがとう!!」などと声を張り上げて、だいぶイタい画である。
やはりボーカリストに必要なのは、トーク力とパフォーマンスだと思う。それ込みで、ボーカリストだ。
さりとて合唱は声が出ないという。逆にゴスペルは声がでかすぎて浮いていた。
私に歌う居場所はないのか。
今は切手収集を楽しんでいる。