1月8日、娘ぶー子、帰宅。
今となっては年に1、2回しか帰って来なくなったが、大概こちらは二日酔いである。なかなか上手くもてなすことができない。
それがこの正月は風邪で寝込んでいたために、二日酔いは何とか免れたのだ。
しかし寝込んでいたために、「もてなし」までは力及ばず。
残り物のおせちとピザで体裁を整える。
明るいうちからガキ使の録画を見つつ飲む、という予定であった。
テレビの前のテーブルはダンナが拭いておいてくれたのだろう、2枚のピザの間に、台ぶきん代わりのタオルハンカチが端に畳んで置かれていた。
それを見て私はブッとなったのである。
タオルハンカチが大量に余っている話は、以前ここでも書いたことがある。その数、当時で55枚。
そしてその後、一枚たりとも捨てた記憶はないので、55枚がまだ我が家にあるということである。
使い道を思いつかないまま、7年が経ってしまった。
それでもどうしても捨てられないのでしまってあったのだが、ついに使い道を思いついたのである。
ふきんだ。キッチンの台ぶきん。
素材の向き不向きはもうこの際関係ない。
キッチンのふきんは結構汚れやすく、回転がいいということに気がついたのである。
目的は消費だ。もってこいじゃないか。
ということで現在、我が家の台ぶきんはタオルハンカチである。
それだけではない。
こうなったらぞうきんにもしてやろうと思いついた。
ただのぞうきんではない、ちゃんと担当場所を作り、その場所専門の任務を与えた。
その場所はトイレであった。便所。
一応トイレには専用のウェットティッシュが常備してあったが、不思議なものであまり使う気になれず、消費は細々としていた。いつも最終的には乾いてしまい、濡らして使っているような始末だったのだ。
ところがこれをタオルハンカチにした途端、私はせっせと掃除をするようになった。
トイレを出る時に手を洗うところでハンカチを濡らし、気になるところろ拭いて出るのである。
作業としてはウェットティッシュの方が楽なはずなのに、なぜかタオルハンカチの方が使いやすいということに気がついた。
昭和を生きて来た定めだろうか。新しいものの出現に、ついていけないのかもしれない。
で、話は戻る。
ピザを食べようと思ってテーブルにつくと、そこにはキッチン用のタオルハンカチでなく、便所ぞうきんハンカチの方が置いてあったからブッとなったのである。使用後の。
まさかトイレからわざわざ持ってくるはずはないから、これは使用後に軽く手洗いして干してあったものに間違いない。
参ったね、これ、このまま黙ってていいものか。
良かないよねEE:AEB64ピザ食べて汚れた手をチョチョイと拭いちゃったりしそうである。速やかに下げなくては。
言うべきか?
知らない方がいいことも、世の中にはある。これはそっちサイドか?
いや、今後のこともある。同じ間違いが起きぬよう、言わねばなるまい。
「・・・あのー、実はこれ、台ぶきんじゃなくて便所掃除用のぞうきんなんですが・・・。」
「ええっ!?」
思ったよりも大きなリアクションがあり、嬉しいような申し訳ないような。
「だってそこに干してあった・・・。」
「干したよ。使ったからね。洗って干しておいた。だからこれ、便所掃除後のハンカチね。」
「・・・・・・・。」
無言、というのは言葉がないのとは違う。言葉が出せない、ということなのである。彼らの心の中では、様々な言葉が渦巻いていたことだろう。
フィードバック。
トイレぞうきんには「トイレ」と書いておきます。
いや~、あなたもビックリしたかもしれんが、私だって驚いたよ、ピザんとこにまさかのトイレぞうきんがあるとは(笑)