人間のクズ!

敵は自分の中にいる。ちょっとだけ抗ってみたくなった、ぽ子55歳。

楽しいキッチン編

風呂の後のスクイージーが止められなくなってきた。

正直もう面倒臭くて仕方がないんだが、これをやめたらまたクズに転落してしまうような怖さがあるのだ。

私は家事、掃除の平均値を知らない。

これをやめてしまうということは、せっかく人並みの風呂掃除ができるようになる機会を、自ら放棄することになるのではないか。

 

このように嫌々やっているうちに、習慣になったことが過去にもいくつかある。

洗濯ものをたたみながら干し、たたみながら取り込むこと。

これまで往路も復路もポンポン放り込んでいたのだ、手間は増えた。

しかし洗濯物のシワは激減した(笑)

こうなると面倒だが、やめるにやめられなくなる。まぁ習慣になってしまえば、面倒はない。それまでの辛抱だ。

しかしいつも、この「風呂場の拭き取り作業」をしてないことを寝る前に思い出すので、早く寝たい身としては結構厳しいものである。いつまで続くだろうか。

 

で、拭き取りと言えば、キッチン。

流し台も作業後にはいちいち拭けというじゃないか。頻度を考えると、風呂以上に面倒だ。

それに、水を出すのは皿洗いや調理の時だけではない。

ちょいちょい水道を使うたびに拭かなくてはならないのか?それもはや「毎度拭け」という意味か?

 

そもそも拭き取りには、台ぶきんを使っていた。

流し台やテーブルを拭いたついでに、常にその辺に出しっ放している。

これを、皿を洗った後に流しを洗剤で洗い(これも面倒)、その後に絞ったこの台ぶきんで拭きとっていたのだ。

しかしその後に、食洗器の湯がドバドバ何度も流されてくる。

これも、都度拭くのか?

というか、そもそも水気のあるふきんで拭きとっているから、すぐにベチャベチャになってしまう。それを絞るとまた流しが濡れる。

何と言うか、果てしないというか、始まるために終える作業の繰り返しではないか。

 

しかしすでに、「やめられない魔法」がかけられていた。ばかりか、気になって拭き取り頻度は上がる一方である。

ならばせめて、もうちょっと快適に、納得いくようにできないものか。

 

そこで、二つの点と点が出会ったのである。

 

何度かここでも書いているが、私はまだ、大量のタオルハンカチの処遇に困っていた。

ぞうきんにするというのがありがちな末路だが、あの可愛いハンカチ達をぞうきんになり下げるのは気が進まず、またそもそもぞうきんという役職は、格下げされたタオルで常にいっぱいであった。

そうだ、あのハンカチ達を、キッチンの拭き取り専用ふきんにしようじゃないか。

数はたくさんあるから、ポンポン使い回すことができる。こうなると可愛らしい柄もキッチンらしくていいじゃないか。

早速、拭き取りハンカチ専用の干し場を作り、無駄に拭き取っているところである。

もう別に、何回拭き取ったって、困ることがないのだ。無駄でも、一番の無駄どころの「労働力」の出し主が好きでやっているのである。

これで綺麗になるなら、いいことづくしじゃないか。

 

・・・で。

 

風呂にしろ流しにしろ、この拭き取りに本当に効果はあるんだろうか?

実感するにはまだ時間がかかりそうである。魔法が切れるのとどちらが早いか。