風呂の後のスクイージーが止められなくなってきた。
正直もう面倒臭くて仕方がないんだが、これをやめたらまたクズに転落してしまうような怖さがあるのだ。
私は家事、掃除の平均値を知らない。
これをやめてしまうということは、せっかく人並みの風呂掃除ができるようになる機会を、自ら放棄することになるのではないか。
このように嫌々やっているうちに、習慣になったことが過去にもいくつかある。
洗濯ものをたたみながら干し、たたみながら取り込むこと。
これまで往路も復路もポンポン放り込んでいたのだ、手間は増えた。
しかし洗濯物のシワは激減した(笑)
こうなると面倒だが、やめるにやめられなくなる。まぁ習慣になってしまえば、面倒はない。それまでの辛抱だ。
しかしいつも、この「風呂場の拭き取り作業」をしてないことを寝る前に思い出すので、早く寝たい身としては結構厳しいものである。いつまで続くだろうか。
で、拭き取りと言えば、キッチン。
流し台も作業後にはいちいち拭けというじゃないか。頻度を考えると、風呂以上に面倒だ。
それに、水を出すのは皿洗いや調理の時だけではない。
ちょいちょい水道を使うたびに拭かなくてはならないのか?それもはや「毎度拭け」という意味か?
そもそも拭き取りには、台ぶきんを使っていた。
流し台やテーブルを拭いたついでに、常にその辺に出しっ放している。
これを、皿を洗った後に流しを洗剤で洗い(これも面倒)、その後に絞ったこの台ぶきんで拭きとっていたのだ。
しかしその後に、食洗器の湯がドバドバ何度も流されてくる。
これも、都度拭くのか?
というか、そもそも水気のあるふきんで拭きとっているから、すぐにベチャベチャになってしまう。それを絞るとまた流しが濡れる。
何と言うか、果てしないというか、始まるために終える作業の繰り返しではないか。
しかしすでに、「やめられない魔法」がかけられていた。ばかりか、気になって拭き取り頻度は上がる一方である。
ならばせめて、もうちょっと快適に、納得いくようにできないものか。
そこで、二つの点と点が出会ったのである。
何度かここでも書いているが、私はまだ、大量のタオルハンカチの処遇に困っていた。
ぞうきんにするというのがありがちな末路だが、あの可愛いハンカチ達をぞうきんになり下げるのは気が進まず、またそもそもぞうきんという役職は、格下げされたタオルで常にいっぱいであった。
そうだ、あのハンカチ達を、キッチンの拭き取り専用ふきんにしようじゃないか。
数はたくさんあるから、ポンポン使い回すことができる。こうなると可愛らしい柄もキッチンらしくていいじゃないか。
早速、拭き取りハンカチ専用の干し場を作り、無駄に拭き取っているところである。
もう別に、何回拭き取ったって、困ることがないのだ。無駄でも、一番の無駄どころの「労働力」の出し主が好きでやっているのである。
これで綺麗になるなら、いいことづくしじゃないか。
・・・で。
風呂にしろ流しにしろ、この拭き取りに本当に効果はあるんだろうか?
実感するにはまだ時間がかかりそうである。魔法が切れるのとどちらが早いか。