さらに風呂場の掃除道具を持って、再び実家に出向いたのである。
しかし、「お風呂場はやらなくていいわよ。」母から声をかけられた。
「そこはお父さんの仕事なのよ。」
父が別居状態から家に戻ってからは家事を分担しているらしいが、「きちんと掃除をしてくれない」といつもこぼしていた母である。
しかし彼女が、どこまで自分の掃除領域をきちんと掃除しているのかは疑問だ。
今や私とは絶縁状態の父だが、フン、これは私からのクリスマスプレゼントじゃ。
きれいにしておいてやるから覚えとけよ。
その甲斐あって風呂場はだいぶきれいになったが、実家は風呂場だけで構成されている訳ではない。
私はまたキッチンに挑んだ。
電子レンジの汚れは昨日、扉の部分だけ落としてあったが、上部にはラップやアルミホイルが積まれており、拭くことが出来なかった。
こいつをどかさんと、とよけてみると、下から油まみれの袋に入ったポリ袋や新品のおしぼりが出てきた。
この油、この汚れ。何年前からここにあるんじゃ。
これはもう、半永久的にここから動くことはなく、ますます汚れていくことだろう。
すぐに使わないのなら、決まったところに収納するべきである。
見るとレンジの奥には小さな収納棚があった。
しかしこれもコテコテの油まみれで、中には乱雑にふきん類や未使用のポリ袋が大量に入っていた。
ここを整理して・・・と中味を出してみると、げぇ、こちらも油まみれ、虫のフンだらけである。
「使わないなら捨てたら・・・。」
「あら、だってまだ使えるのよ。ぞうきんやふきんにするんだから、汚くていいのよ。」
「でも使ってないじゃん!!」
「まだ使えるのよ。」
そうなのだ。
母は「捨てられない人」である。
私は今日母と話をしていて、ゴミ屋敷の主と話している気持ちになった。
「このお手拭きだって一度も使ってないのよ。麻でできた上等のやつなんだから。」
その上等な未使用のお手拭きには、虫のフンと死骸がつき、色も変色していた。
「・・・・・・洗います。私が持って帰って洗います。」
人間のクズ!ぽ子、自ら洗濯を申し出る異例の事態である。
しかし収納棚の中味は、ほとんど現状では使用不可能であった。それら、全て持ち帰りとなる。
母はそれらの中から出てきた「洗剤のいらない油汚れ落とし」というクロスを発見して「あら、これ凄いわ」と、私に触発されたようにコンロの周りを拭き出した。
このクロスも油まみれの袋から出てきた、化石状態の未使用品である。
「これは落ちないのかしら。」
その、母にとっての魔法のクロスでも落ちない汚れとは、ふきんを掛けるプラスチックのバーであった。
「そこまで汚れちゃったら、洗剤つけて少しおいてからのほうがいいんじゃないの?」
ここに来ればぽ子ですら「デキる人」である。アドバイスなんかしちゃったりして。
「これねぇ、いつも気になってたのよね、きれいにできないかって。だってこんなに汚れちゃったらふきんをかけられなくて。」
「え?使ってないの?」
汚れを見てきれいになるのを願うためだけに存在しているらしい。
ところでこの家には2ヶ所、丸めたティッシュが詰まったティッシュボックスが置いてある。
そのひとつがガスコンロの横に置いてあるのだが、この丸めテュッシュは母が鼻を拭いたものである。
母はトシのせいかよく鼻がたれると言ってはこまめにティッシュで鼻を拭いていたが、それだけではもったいないというのだ。
リビングには充填中のボックスがひとつ、それがめでたく満杯になれば、第二の仕事のためにコンロの横に移動するのだ。
しかしその箱もすでに2箱、積まれている。どんだけもったいなく使ってるんじゃい。
「もう、これも循環させないとたまる一方だよ。どんどん使わないと。」
みると台ぶきんも穴だらけのボロボロである。一方、未使用のふきんが油まみれでたまっていくのだ。
私は古いものを勝手にどんどん捨てた。誰かがこの淀んだ流れを循環させなくては、ゴミ屋敷も他人事ではなくなってしまう。
私も相当捨てられない人間だが、大切なのは「捨てない事」ではなく「使う事」である。
・・・という事が身にしみた。
さしあたって、新聞屋からもらったまだ袋に入っているジャイアンツのジャビットくんのぬいぐるみを、どうやって使おうかを考えてみようと思う。