人間のクズ!

敵は自分の中にいる。ちょっとだけ抗ってみたくなった、ぽ子55歳。

リーネに想う・2

「リーネ」の膨大なツイートのほとんどは、ゲームとアニメのことであった。

いわゆるオタクというのか、美少女のアイドル育成ゲームにハマッており、最後に別れを告げた雪美ちゃんもそのキャラクターのようだ。

レポートだとか講義がどうだとかいうつぶやきが多少あったので、大学生と思われる。

そこには全く友人の気配はない。

学校とゲーム、時々はボーッと過ごして後悔し、長い休み明けにはゲンナリしている。

しかし閉鎖的だが、そんなにひどく荒んだ印象はない。

実際死を予感させるようなツイートは皆無で、直前のつぶやきまでは全くいつもの通りであった。

だからと言って、彼が幸せだったかどうかはこれだけで計ることはできない。

日常的に希死念慮があったのかもしれない。

彼のツイッターからはその理由を見出すことができない。なにしろゲームの話ばかりだからだ。

逆に、あれ程ゲームにハマッていても、それは生きる喜びにはなっていなかったということか。それともそれ以上に辛い何かがあったのか。

偏見に聞こえたら申し訳ないのだが、いわゆるオタクという人たちの中には、人付き合いが苦手なメンヘラーが多いように思う。単なる数字上で、という話だ。

2次元が、生き辛さを感じる人達の逃げ場になりやすいのかもしれない。

かくいう私もゲーマーであり、2次元には肯定的である上での言い方になってしまうが、逃げる先は理想でなくてはいけないのだ。現実は嘘にしたいから。

そこで昨日書いた「リーネに想う・1」にちょっと戻るが、ガールズちゃんねるに晒されている生身の女性の本性。

決して美しくはない現実である。2次元に逃げる気持ちも分からなくはない。

かと言って、生身の人間は人間だ。女だろうと屁もこくし、人が見てなきゃパンツに手を突っ込んで尻ぐらい掻く。

このように現実と2次元には大きな違いがあり、現実での自分の立ち居地を見失えば、生きることはある日突然危うくなるかもしれない。

あなたが逃げている今は、あなたの生きている今ではないのである。

考えたところでもうリーネはいないし、掘り下げたところで何も出て来はしない。

赤の他人の私が感知する意味も意義もない。

つまり飛び込み自殺とはそういうもので、私達は「またですか」と思うぐらいしかできないのかもしれない。

とりとめもないことをつらつら書いたが、このことが頭を離れずもやもやしていたのでお目汚し申し訳ない。

改めて言うが、飛び込みやオタクの是非ではない。

どうもこういう話を書くと時々、素っ頓狂なコメントが入ることがあるので。

グッバイパッパ

フォエバーマッマ。

2chの方に残された、最後の言葉であった。