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鏡を見ると、ゲンナリする。
気が付かなかったわけではない。私ももう56だ、年齢による劣化などに今さら抗うつもりもないし落ち込んだりもしない。
しかし時は容赦ない。止まらない劣化に、さすがにゲンナリした。
いよいよ顔面の肉が、引力に逆らえなくなってきたようである。
このままでいくと、ブルドッグ化は免れない。数年前にYouTubeで、顔のエクササイズを見たことがあった。トイレに入っている間にでもやっておけばいいかな、と思ったはずだったが、こういうものは効果が見えてこないと続かないものである。効果が見える前のビフォーで効果を実感することはできないのだ。誰も見ていないとはいえ、トイレでひとりまじめに変顔をしている馬鹿馬鹿しさ。長続きはしなかった。
あれを続けていたら、今頃は違う顔になっていただろうか。
人生、こんなことばかりである。「やってきて良かった」と思えることが、一体私にいくつあるのだろうか。
しかしまずいことになった。このままブル化を許す訳にはいかない。
私は鏡に向かって笑ってみた。思いがけずポエムな展開だ。ところが、これにていい発見をした。笑うと頬が上がるのである。さしあたって、たるみも上がる。
これだ。私は常に笑顔でいるのだ。なんか素敵な響きではないか。心に太陽を!顔には笑顔を!!
こうして私は、ひとりでいてもニヤニヤしているようになった。油断すれば、また仏頂面に戻ってしまう。笑うのにも、筋力は必要なのだ。楽をしようとすれば、それはまた元に戻ってしまうのである。意外と難しい。
そして気づいたこと。笑えない場面では、笑えないのである。
顔だけ笑っておけばいいのだが、例えばウクライナのニュースを見ながら笑顔を作るのは難しい。笑いながら英語の学習アプリをやっていると、まるで英語ができる自分をドヤっているような気持になる。
やはり本来笑顔と言うものは、気持ちから湧き上がって来るものなのだろう。
逆に、気持ちが落ち込んでいる時に笑顔を作れば元気になるのかといえば、そんなこともない。
しかしだ。そんな時にも微力ながら筋力を使うことで、ちょっとは気が紛れることもある。落ち込みという沼にはまっている自分に、「おーい!」ぐらいの声は聞こえたような気はする。
役にも立たないが、無駄ではない。
ということで、相変わらずひとりでニヤニヤしている毎日だ。
抗うことにしました。