ちょっと前のことだが。
病院に行ったついでに、日本橋から新宿まで歩いた時のことだ。
日本橋のクリニックを出ると、外はランチを求めるOLやサラリーマンで溢れ返っていた。
平日の正午過ぎ。
日本橋は、オフィス街である。
近代的なビルが立ち並び、洗練された雰囲気が漂っていた。
あぁ、綺麗だな。
春先の柔らかい太陽の光をキラキラと反射させて輝くビルを見上げ、私の気持ちも暖まってくる。
ビルからはパリッとしたスーツを着込んだ男女が颯爽と現れ、消えていく。
・・・・・・・・。
私は、自分の人生を悔いたことはないつもりだ。
それは、汚点がないという意味ではない。
悔いても仕方がないからである。
汚点を含め、変えられない今がある。
反省はするが、悔いても辛いだけなのだ。
しかし、このようなオフィスで働いている彼らを見て、漠然と後悔の念のようなものが沸き上がってきた。
私は人生をどれだけ無駄にしてきたのだろうか。
歯車が狂い始めたのは、中学ぐらいからだった。
そもそも頭も悪く、根気もなく、夢も目標もなかった。
そこへきて親と激しい衝突を繰り返し、私は親が望むような人間になるまいと反発した。
それは堕落し、親を落胆させるという仕返しであった。
概ね、成功した。
私は、絵に描いたような失敗人生の見本のような過去を歩むことができたのである。
今、このオフィス街を闊歩している人達を見て、正直羨ましいと思った。
私が自堕落な生活をしている時期には、努力したのだろう。その苦労が掴み取った、成功のひとつである。
勝ち組。
一時期そんな言葉が出回ったが、彼らに相応しいと心から思った。
もちろん、個々で色んな問題を抱えていたりするかもしれないが、少なくともある努力が報われて形になっているという意味では、勝ち組であると思う。
しかし私は自分を、負け組とも思ってはいない。なぜなら何も失ってはいないからだ。
そもそも求めるものなどなかったのだ。
過去も先も見ず、ここまでやって来た結果だ。
私は常に、「その時」だけを生きて来た。
それが私を「勝ち」にも「負け」にも導かなかったということである。
それが、「目標に向かって生き、それを達成した人」を目の当たりにして、彼らを勝利者と思わずにいられなかったのである。
私は本当に多くのものを無駄にしてきた。
多くのものから逃げて来た。
勝ち組。
下らねー言葉だと思っていたが、負け犬の遠吠えだったか。
今は彼らに、敬意を表したい。