朝だ。
今日は何曜日だったっけ・・・。まだダンナは起きて来ない。何時だ??
7時20分!!
ちょとちょとっ!!寝坊してるよタンさん!!
慌ててリビングに下りる。階段の途中に脱ぎ捨てた私のズボン。なんでここ!?
リビングには誰もいない。もう出勤したのだろうか。爆睡してて気がつかなかったのかもしれない。
それにしても、エアコンはつけっぱなし、ジャーは炊飯中。
なにこの在宅感。
やがてダンナは、風呂から上がってきた。ひとこと、「フレックス」。
ちょっと、そういうことは前もって言ってちょうだいEE:AE5B1
あんなに飲み過ぎて、死んだか遅刻したかと思うじゃないか。
激しく渇いていたので自販機でジュースを買い(梨ジュースとピンクグレープフルーツジュースがなくなっていてショック)、それを飲んだらもう一眠りだ。
そして今度こそダンナは、私が寝ている間に出かけていった。
セッションライブであった。
セッションライブとは何ぞや?と思いつつきちんと確かめもせずにライブハウスに向かった。
事前に「弾き慣れた楽器がいいようだったらキーボードは持ってくるように」と言われていたが、弾くのか??
何を??
それとなく聞いてみると「大丈夫、大丈夫~~EE:AEB30」という世にも恐ろしい返事であった。
弾くのか??EE:AEB64
知っている人は知っていると思うが、私はド下手である。ホント。
特にアドリブだとかセッションだとか、練習なしで弾くものは目も当てられないほど使い物にならない。
技術も知識もないので、事前に仕込んで練習しないと弾けないのである。
まぁ聴くに徹して楽しもうじゃないか。
楽器は持たずに家を出た。
しかし「セッションライブ」である。よもや「弾け」と振られた時に備え、一杯かっくらってから向かうことにする。
この「一杯」が「ONE杯」でなく「MUCH杯」になってしまったことが、運命を変えてしまったのである・・・。
もうセッションは始まっていた。
スリーコードのフリーセッションで、いわゆるアドリブ合戦だ。
私が最も苦手とするスタイルだが、この時点で弾きたくてたまらなくなっていた。酒、恐るべし。
何とか踏みとどまったが、この後、Pで良く演る曲を振っていただき(ロック界のエスペラントソング、ZEPの「ロックンロール」だ)、私の恥歌と恥弾きの幕が開けるのである。
飲み放題だ。
ただでさえ酔っ払っているところ、更なるアルコールが注入されるのだ。酔いも加速する。
後半はもうほとんど記憶がない。
最後(だったと思う)にまたスリーコードのセッションになったが、私は酔っ払ってそれに加わっている。
弾けるはずがないのだ。私はコード理論だとかブルーススケールだとかいうものを知らない。適当に弾くしかないのである。
翌日になってから激しく後悔し、思い出さないように努めたが、ダンナの方から蒸し返してきたので泡を吹きそうになった。
「ぽ子さぁ、スリーコードのセッション、やったじゃん??」
「ああっ、ダメ!!弾けるわけないじゃん!!弾けないものをどうやって弾いたのか、もう思い出したくもない!!」
「えっ?良かったよ、アレ。」
「は?何とかなってた??」
「何とかっていうか、良かったって。」
何をどう弾いたのか、今またここでセッションやろうと言われても絶対に弾けない。
不思議なことに、時々こういうことがあるのだ。私は「神が降りる」と言っているが、手が勝手に弾いているのである(笑)誰かが降りたとしか思えない現象である。
その代わり、他の曲はボロボロだったはずだ。
スリーコードがクリアできたのは自由度が高かったためで、決まった曲はその通りに弾けず、成り立ってなかったはずである。
しかしどの曲もほとんど覚えておらず、気持ち良く参加していた記憶だけが残っている。
楽しかった。
それにしても酔うと弾きたくなるとは、自分が思っているよりも私は音楽に侵されているようである。実はちょっと嬉しい。
この後は居酒屋サイゼでマグナムを2本空け(もう少し静かにしてくださいと怒られる)、終電を逃してタクシーで帰ることになる。
もはやサイゼでの会話は、ひとっことも思い出せない。不思議なことに、サイレントムービーのように視覚的なことは思い出せるのだが。
ダンナは弁当も持たず、自分で納豆ご飯を食べて出勤した模様。
その残骸を見て、私もダンナが炊いたご飯で納豆を食べる。
寝室に戻ると、シーツがはがされているのに気がついた。
広げてみたら、トマトジュースをぶちまけた跡がEE:AE4E6
果たしてみんなの記憶にどれほど私が残されているのかは分からないが、願わくば、きれいな思い出だけ残っていて欲しいものだ。
ダンナの話が本当なら、神が降りたソロなど。