人間のクズ!

敵は自分の中にいる。ちょっとだけ抗ってみたくなった、ぽ子55歳。

声帯ポリポイド治療・1 ~プロローグ1~

このたび意を決して、喉の治療に取り組むことにしたのだ。

意を決して、というのは、「このままでもいいかな」というのと、「どうせ治らない」という諦めがあったところからの出発だからである。

意を決した理由は、合唱団で私の声だけ浮いてしまうこと、高い声が出ないこと、このストレスがいよいよ大きくなってきたからである。

遅れたが、私が治したいのは声嗄れだ。

とうとう治療を始めたので、個人的に記録に残しておきたいのと、誰かの役にでも立ってもらえればいいなという気持ちで、カテゴリーを作った。

具体的な治療の話を書く前に、これまでの経過と現在の状況を書いておこうと思う。

私の声が嗄れ始めたのは、記憶では高校生ぐらいの時だったと思う。

新しい高校生活、新しくできた友達、私は声が嗄れるほどいつもはしゃぎまくっていた。

それでも時間をおけば自然に治る繰り返しで、まだ「私の声」はしっかり存在していた。

大人になり、酒を常飲するようになってから、徐々に悪化し始める。

酒だけ、はしゃぐだけ、と、どちらか単体なら、そう声は嗄れなかったのではないかと思う。

アルコールは喉を充血させ、その状態で騒いだり歌ったりと酷使すると大きなダメージがある。

少しずつ嗄れ声になっていくが、それでもまだ歌には全く影響のない範囲であった。

25、6歳の頃に、一度耳鼻科に行っている。

やはり飲み会で騒ぎ過ぎ喉を壊し、なかなか治らなかったからである。

そこでは「ポリープができかかっている」と診断され、手術というほどでもないし、薬飲んで大人しくしてなさい、とかそんな感じで終わったように思う。

いよいよ深刻的に悪化し始めたのは、バンドで歌うようになってからだ。

酒を飲みながらキーの高い曲を我流で無理して歌うため、翌日から大きなダメージを残すようになる。

また酒を飲んでのバカ騒ぎも然り。だんだんダメージが残るようになってきたのだ。

次の日、全く声が出ない。

スカースカーと息が漏れるだけで声にならないので、お腹から圧をかけて大声を出すようにして喋ると、何とかガラガラ声がやっと出る、という状態だ。戻るまでには3、4日を要した。

リハで喉を壊し、本番で声が出ないこともあった。

そんなことを続けるうちに、普段の声もハスキーになってしまった。

嗄れるので、たくさん息を送り込まないと声が通らない。

人に会うとたいがいテンションが上がるので自然と声は大きくなったが、家族と喋ると力が抜け、聞き取りにくいようで良く聞き返される。

ためいきを搾り出すようにして、言葉を吐く。

喋るのに、体力を必要とした。

病院にも行った。

喉を壊してあまりにもなかなか治らなかったため、かかりつけの耳鼻科で診てもらったが、「喉が腫れている。声を戻すには喉を使わないようにするぐらいしかない。」と言われ、効果を見せなかった。

こうした単発の嗄声はある意味自業自得で、元に戻るまでには時間が必要なのは分かる。

しかしやがて地声の嗄れも気になってきて、今度は別の病院へ行ったのだ。

そこでは結節ができている、と言われた。

映像を見たが、なるほど、ポッコリとふたつのコブができていた。

年老いたおじいちゃん先生は、「これはもう治らないよ。まぁこのままにしておいても大丈夫だから、何か不都合がでてきたらまた来て。」と言って、薬すら出さなかった。

それでも私はさほど落ち込みも困りもしなかった。

ハスキーと言ってもガラガラという程ではないし、歌だってロックならしゃがれてる方がカッコいいぐらいだ。

私は相変わらず、酒を飲んでのリハやライブの度に喉を潰す不摂生を繰り返した。

不便もあったが、治らないんじゃ仕方がない。

自分でも調べたが、手術をしないなら完全な沈黙を何ヶ月も守らなくてはならないようで、諦めたのだった。

転機は合唱団に入って訪れる。