昨日のハードジョブの帰り、母は私に大きな鉢を託したのだ。
それは大きな大きな鉢で、持ち上げるには気合が必要とされた。
月下美人その2である。
前回、咲くのを見逃した事を知った母が、咲きそうなつぼみをつけたものをくれたのだが、それは断るつもりでいたのだ。
咲き逃がした美人にすでに愛着が湧いており、簡単に代わりで手を打ちたくない気持ちになっていたのだった。
しかし母はその後も「咲きそうなのがある。」「1つはもうすぐ咲く。」「もうひとつはその次に咲く。」「もうちょっとかかりそうなのもある。」「これは大きくて立派なの。」「でもこっちはちょっと小さいんだけど。」と家で咲こうとスタンバッている娘達を売り込んでくるので、花を見逃した美人よりも母の方が可哀相になってきてしまったのだ。
意外と哀れ路線のセールスをやらせたら、母はいい成績を上げるかもしれない。
母が今度くれた月下美人は、前回の倍ほどもある見事なものだった。
なる程たわわに膨らんだつぼみはグイッと首をもたげており、今にも咲きそうな状態だ。
飲むぞ。
今夜は平日だが、この花が咲くのを見ながら晩酌と洒落込もうじゃないか。
私は帰りにスーパーで、酒の肴になりそうな魚とほたてを買って帰った。
しかしその時点ですでに7時。
いつ咲き出すかも分からない花をちょこちょこ見に行きながら、晩御飯の支度とブログの下書きである。
貴重な一晩だ、できればリビングに置いて眺めながらそういった作業をしたかったのだが、植物と見ると食べようとする猫がいるのである。
それを監視しながら急いでそれらの雑用(なに!?雑用!?)をしたくはなかったのだ。
なので花は、玄関である。
一方、晩酌相手のダンナも帰らない。
花の開花vs晩御飯の準備vsブログの下書きvsダンナの帰宅。
一番早かったのは、花の開花であった・・・。
8時ごろ始まったその一夜のイベントは、実に神秘的であった。
10分おきに見に行ったが、じっと見ていればその動きが分かるんじゃないかと思うほど、生き生きと花開いていく。
その様子をカメラに収めるのだが、鉢は自分より低い玄関のたたきである。
私は床に這いつくばり、花の高さにカメラを構える・・・、プロっぺ~~。
しかし玄関の電気が薄暗く、露出の調整などという難しいことができないので、撮れた写真は地味・変であった。
これを約10分おきに繰り返す。
1時間ほどで花は開ききったのか、動きがなくなった。
ダンナが帰ってきたのはその頃である。
よっこいせー、とテーブルに大きな砂だらけの鉢を乗せて乾杯。
とたんにミがミャー!!と大声を上げながら寄ってきたが、お気に召さなかったのかその時だけであった。
これなら今後の美人鑑賞もこの調子でイケる。花が咲くたびに乾杯だ。
直径が20センチほどもありそうな、大きな花である。
サボテンのような茎からパァッと白いエキゾチックな花を咲かせ、それを見ながら飲む酒もまた旨い。
今度はゆっくり咲くところを見ながら飲みたいね、と話しつつ、「花が咲いた」という理由だけでじゃんじゃんグラスを重ねていく。
やがてダンナが「・・・これ、いつまでここに置いておくの?」と言い出した。
ひどく現実的な言葉である。
私はもう花にも酒にも完全に酔っていたが、それをブチ壊して現実に帰そうとするダンナ。
しかし、鉢から小さな虫が後から後から湧き出てきて、もうすぐセミボスのダンゴムシも出てきそうなのだと言う。
ぶっちゃけザコもダンゴムシもまるで気にならないほど酔っていたが、価値観というのは人それぞれ、その時々である。
こういう時はダンナの価値観を優先した方が、後々のためである事は予想できた。
ダンナはまた「よっこいしょ」と言って抱くように鉢を持ち、まだきれいに咲いている月下美人を玄関の外に追い出してしまった。
外は雨。
私は心で泣いた。ダンナは鬼である。
遠くはるばる私達を癒すためにやってきたいたいけな少女、まるで芸者になって初めての舞台を途中で降ろされ、それでも頑張って月の下で踊り続ける娘のようである。
しっかり育てれば、まだ開花のチャンスはある。
今度は鉢を覆うのサイズのダンボールを用意するなど虫除け対策を考え、せめて室内で一晩を一緒に過ごせるようにしたい。
・・・などと言っていると、昔話で花の妖怪に魂を抜かれていく主人公のようである。
それ程に妖しく美しい月下美人。
次に会えるのはいつになるだろうか。
咲き始め。
短時間で、少しずつ開いていく。
ほぼ完成形。
ボヨヨ~~ンと垂れ下がっている。
全体像。
テーブルの上に移動。
あとはずっとこの状態。
で、外に出されちゃった訳で、その後はいつ萎んだのかは分からない。
花は食べられるらしいが、ダンナが拒否。
サヨナラ、ひと晩、ありがとう。